10回目の引っ越しと賃貸の衝撃
3/12に引っ越しをして新居で一晩過ごしたら手がガサガサ、鼻詰まりが生じているたんちくんです。
今日は引っ越しで感じたこととこれが賃貸だよなーと感じることを記録しようと思います。
記念すべき10回目
記憶を辿ると人生で10回目の引っ越し
①登別から苫小牧へ
②苫小牧の新築へ
③青森県弘前の下宿へ
④弘前市内の賃貸へ
⑤弘前から札幌市中央区宮の森へ
⑥宮の森から宮の森へ笑
⑦宮の森から平岸へ
⑧平岸から屯田(新築)へ
⑨屯田から百合が原へ
⑩百合が原から札幌市南区へ
比較対象がないから多い少ないという話ではなく引っ越しをすることで得られるメリットについて書いてみます。
華麗なる冷蔵庫運び
今回も依頼させていただいたのアート引っ越しセンターさん。
重たい物を自由自在に運んでいく様は圧巻。今回もあの重たい、でかい冷蔵庫を、狭い通路、空間を華麗に連れて行ってくれました。
見てて気づいたのは体の使い方。肩関節の内旋と前腕の回内位で対象を把持する。そうすると解剖学的な連結や運動的な安定した連鎖反応が生じやすいのでしょうね。
そうした学びを得られるのがメリットの一つ目
所有することの意味を考えることができる
僕自身には不思議な現象が生じています。引っ越しをするたびに荷物が減っていくのです。
二つの視点があると思います。引っ越すことが多いと分かっているから常に荷物を減らしていくということ。もう一つは、引っ越しをするたびに物が少なくても生きていけることに気付いてくるか、ということです。
僕ら世代(プレッシャー世代とかはざま世代といわれる世代)は、一般的に定着している氷河期世代やゆとり世代の間の世代である。どんな特徴かというと、競争世代と個性は世代の間。この話題的に言うと、バブルを引きづって誰もが成功したり競争を好んで人より良い物を沢山持ったりすることに価値があるのか、反対に自分の強みを生かした生き方や効率的な生活スタイルを求めて(例えば衣服は少ないほうが時間効率が上がる、選ぶ時間が短くなるから)生きることに価値があるのか、という間の世代になる。
確かに周りを見ると、正社員としてあくせく働くことに価値を見出す人、それが当たり前と思う人と、自分の興味のあることに邁進する人が分かれやすい世代なのかなと思う。
ぼくとしては、引っ越しするたびに物が少なくても生きていけることを学んで行った人間だと思う。また家族が増えたりする中で、家族のやりたいことをやっていくためには定住にはならないなーという思考になり、引っ越すことが前提の生活になっている背景もある。物を少なくする必要がある環境であり、物が少なくても生きていけることを体感している感じだ。
賃貸の衝撃
最後に賃貸の衝撃を写真で記録してこの話を終わろうと思います。
ほんの一部です。ただの賃貸なら何も思いません。「リフォーム済み」という提示と、分譲としても出していた物件と考えると、このまま売りに出してるってこわ!!っと思います。衝撃🤣