小学校だって自分で選ぶ!

朝一番のバーピーと二層式洗濯機で選択することを
潜在意識と約束して生活している最中のたんちくんです。

さて、今日は自宅を売った一番の目的である子どもの成長に合わせていつでも環境を変えられるようにしている最中の話です。小学校を自分で選んでもらう理由というところです。

自分で選択し決断し行動する

自分が大事にしているものは何なのか知るって簡単なようで難しいのかなと感じます(自分自身がそうだから笑)。
ぼくにはそういうことを感じる力がついていない
→自分と同じような環境だと同じ人間になる可能性が高いように感じます。
何に喜び、何に怒り、何に悲しみ、何に楽しさを感じるか。自分を満たすことの積み重ねは、自分をどんなことがあっても自分にとってポジティブな出来事と感じとる能力を高めることになると思います。
やはり比べる相手は自分になってしまうのですが、自分は他者から評価されることに価値を置き、自分のために生きたことなんかなく、他人から評価されることにうれしさを感じていた。自分ではそうしたくないことも、他人からの評価が高まるなら、という判断基準になって行動していた。
要は、自分のようになってほしくない、という思いが生じてしまっているのですね。

疑問に思ったことを解決していくことを習慣化する


与えられた課題ではなく、自ら課題を見つけ、それを解決するにはどうしたらいいかという戦略を立てて、実際に行動していくことを当たり前のようにできるようになってほしいなと思うの親のこころと思います。

教科という範囲にとらわれないでほしい。自分が生きていて疑問に思ったことを解決していくほうが人間らしい。そんな行動習慣をつけてもらいたいと思います。

我が家は数字や計算なんか教えていないのですが、概念を概念として学ぶのは、後々できることかなと感じています。

今出来るのは思いっきり遊んで、今ある環境で一生懸命生きること。概念と言うのは、そのうち出会い、体にしみこんでくることと思う。例え話として我が家の話をします。


5歳になった長女に妹が誕生しました。泊りで外出する準備をしていたときに、妹のオムツを詰める作業をお願いします。「今10個あるよ」と長女、「7個持って行こうかな」と妻、すると長女は即座に「じゃあ3つ抜いておくね」と答えていました。我が家は数字を直接伝えたことはありません、体温計の数字や、車のナンバーの数字を読み上げて遊んでいたぐらいです。勝手に引き算の概念が頭に入っていたのですね。


この過程にはもう一つキーワードがあるかと思います。それは言葉遊びに親が付き合うこと、向き合うこと。大人と話しながら学んでいくってことなのではないかと思います。

ただインプットするのではなく生活の知恵として

日常で使う知恵があり
それに概念が後からついてくる
「あーそれって引き算手いうんだ」笑

親からみても、「なんとなく数字を扱うのが得意かもしてないなー」と
子どものことを知る一つの知恵になります

まとめ

18歳になってはじめて学校を選ぶ?
確かにそのことから自分は何になりたいとか何をしたいかと考えるけど
18歳からでいいの?
むしろある程度固定観念がついてしまっていない?
人生楽しくいろんな選択をしていく!
実際子どもの小学校見学で「こんな小学校あるの?????」
自分の感覚がとても変化しています。

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