論文メモ インターネットの妖怪学
吉田善一による論文。
問題設定
近代化が進んだ明治時代、多くの人が迷信や妖怪を信じ、社会現象になった。井上円了は迷信を取り除くため、妖怪学を考えた。
技術の進化により現在では新たな社会現象が生まれている。今後、あらゆる機械はインターネットとつながり心を持つ可能性がある。この仕組みを理解し活用するために、また、情報機器に関する迷信を取り除くために、インターネットの妖怪学を構築する必要がある。
その方法は、①インターネットの偽怪、誤怪、仮怪を発見すること、②インターネットの「真怪」を研究すること、③シンギュラリティの真の姿をあぶり出すことである。
メモ
円了は妖怪の情報を収集、分析し、誤怪、偽怪、仮怪、真怪の四つに分類した。円了はこうした妖怪学により庶民の意識転換を行った。
円了は哲学者でありながら、科学者でもあった。迷信を取り除く妖怪学においては、哲学と科学、そして宗教とが融合した視点が必要である。
そうした妖怪学の視点で現代社会の妖怪を分析する。
インターネットは妖怪の巣窟である。電気の発達とともに都市が明るくなり、妖怪の「住める場所」が無くなってきたとはいえ、インターネットには今や中身が分からない闇が内外に広がっている。
科学が発展し、妖怪は退けられているかと思いきや、最先端科学においても論理的・合理的な説明が不可能な部分は残り、そこに妖怪が住んでいる。
また実業界や政界には闇が残り、そこにも妖怪は住んでいる。
こうした妖怪を分類することで、自身が妖怪にならないようにし、民衆が妖怪に騙されないようにすることができるだろう。(民衆=ネット利用者の意識転換)
インターネットにまつわるさまざまな妖怪の被害者にならないためには、また加害者にならないためには、①自らに課せられた制約の中で情報を発信する、②少数派を認めその声に注意深く耳を傾ける、③相手と自分の不完全さを認め相手を許せる、④主体的に学び常に多角的に考察する、⑤「しばらく電波の無いところにいるので」をルーティンにすることである。
ネット利用者の意識転換のために、円了の妖怪学を用い、インターネットの妖怪学を構築してみる。
真怪→真の本質、無分別知、万物一体、本質界、絶対的真理
仮怪→ビッグデータ、言説可能、情報倫理、現象界、科学的相対知
誤怪→他人が発信する不確かな情報、ネット人格
偽怪→ネット詐欺、ネットにまつわる因習(迷信)
「真怪」は現代の科学では解明できない妖怪、「仮怪」はできる妖怪で、物理学的か心理学的かによってそれぞれ「物怪」「心怪」に分かれる。見た人の誤解によって発生するのが「誤怪」「偽怪」で、悪意の有無によって分けられる。
ネットで、「コメントを書き込んでやろう」とか「誰かを批判してやろう」とか思った瞬間に、妖怪が乗り移ろうとしているので、「一呼吸置く」必要がある。「これはただのやっかみではないか?」「自分にはこんな事をしている暇はあるのか?」「こんな事をしている暇があるのか?」など。
姿が見えない相手に感情が高まるようなことがあっても、心の中で井上円了の唱念「南無絶対無限尊」を唱えると、不思議なことに気持ちが落ち着くであろう。声に出して唱えてもよい
感想
論文中用いられる「妖怪学」は円了の「妖怪学」であって、現代の小松和彦による「妖怪学」とは違うことに注意する。
円了が用いた術語としての「妖怪」と、現代で言う妖怪を混同しているきらいがあるのではないかと思った。その根拠となっているのは2章中「モノとコト」の文節の辺りだろうが、はたして? 関連する論述まで探らないと理解が難しいか。哲学の論述であり、妖怪を歴史的に捉えることを目的としていないのも理由の一つかな。
主張は基本的なインターネットリテラシーに関するもの。ある意味現代もっとも重要な生活知識か。顔を真っ赤にしてインターネットに心を乱されている友人や家族を、本論文を引用して煽り散らかしたい。
少し長大だったので、理解できていない部分が多々あろうかと思う。再読の必要あり。
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