遅くなったが、あらためて終戦に思う
8月15日、日本では終戦記念日。
太平洋戦争が終わった日である。
1945年、昭和20年のこの日、昭和天皇の玉音放送で日本の敗戦、戦争の終結を宣言した。
と、中学校の歴史の教科書で学んだ。
終戦から78年が経った。
こういう機会でもなければ、わたしのじいちゃんたちに思いを馳せることもないだろうから、じいちゃんたちについて、書いてみようと思う。
わたしの父方のじいちゃんは、じいちゃんの兄弟と共に兵士として、召集されていたようだ。
わたしの父方のばあちゃんが、昔の写真をたまに眺めていたときに、脇で見せてもらったことがあった。
召集されたとき、「祝 出征」と書かれたのぼりのようなものが掲げられていた。
戦場に行くのがお祝いごとだったのか。
御国のために、命を懸けるのが当たり前だった世の中にあって、家族を残して、どういう気持で出征していったのか。
このじいちゃんは、わたしが3歳のときに病気で死んでしまったので、戦争の話を、じいちゃんから聞くことはできなかった。
現在の日本において、わたしには考えられない思いだったと思う。
一方、わたしの母方のじいちゃんは、これまた出兵し、フィリピンで戦死したそうだ。
小学校の夏休みで、母の実家に行ったときに、軍服姿の写真をよく見ていた。
このじいちゃんが戦死したとき、わたしの母は、まだ生後8ヶ月だったそうだ。
自分の子の顔さえも見ることさえなく、戦死した。
どんな思いで死んでいったのか。そんなことを思う間もなく即死だったのか。
どういう思いで出征し、遠い異国の地で死んでいったのか。
じいちゃん本人はもちろん、母方のばあちゃんもだいぶ前に死んでしまったので、いまは聞くこともできない。
こっちのじいちゃんも、孫のわたしが想像もできない思いだったんだろうなと思う。
何れにせよ、この当時の多くの若者が、自分の意に反してだったのかもしれないが、国から出征を命じられ、「イヤだ」とも言えずに、戦場に散っていった。
御国のためなら死ぬことさえも厭わない。
そんな時代があったとは、いまに生きる私には、想像もつかない。
地球上では、いまだにというのか、戦争が行われている。
記憶に新しいのは、やはりウクライナだろう。
ウクライナ戦争が始まったとき、ウクライナ兵のお父さんが戦地に行くのを、まだ赤ちゃんの息子が、ヤダヤダと泣いて泣いてというシーンがテレビのニュースで流れたとき、わたしのじいちゃんたちは、このウクライナ兵と同じ心境だったのだろうかと考える。
あえて、言おう。
「戦争はよくない」
多くの命を奪っといて、正義もクソもあるか!?
そんなことを思った今年の終戦の日であった。
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