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【映画】機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島 に思う

この映画を観てから、もう一年以上が経過してしまった。
note の下書きに2年半も放置していたことになる。
インプットしたら、すぐにアウトプットしないとアタマがパンクするらしい。
入れっぱなしは、自分の器にそれ以上入らなくなるので、定期的にでも出さないとダメだよってことのようだ。

そんなワケで、今日は、2年半前に観た映画の感想文を書いてみる。

この映画のガンダムは、わたしも小中学生のころに、どハマリした神アニメ、機動戦士ガンダム、しかもファーストガンダムの話である。
テレビでは、Zガンダムくらいまで、プラモはダブルゼータで止まっている。
最近では、いろんなガンダムが出ているが、わたしがよく覚えているのは、やっぱりファーストガンダムである。

だが、この映画のメインキャストのククルス・ドアンについては、よく覚えていなかった。
こんなんで、ファーストガンダムを語るなと、狂信的なガンダムファンからは言われそうだが、お許し願いたい。

『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』は、ファーストガンダム世代のファンにとって懐かしさと新鮮さを併せ持つ作品だと思う。みなさんも感じたかもしれないように、子供の頃に夢中になったキャラクターが再登場することで、当時の興奮が甦り、新たな視点で再び彼らの活躍を楽しめるという点が、非常に魅力的であると思う。

本作は、『機動戦士ガンダム』の第15話「ククルス・ドアンの島」をベースにしているが、オリジナルエピソードの短さから、より深みを持たせるため、設定やストーリーが膨らませられている。特に主人公アムロ・レイの人間性や、彼が直面する「戦いと人間性」というテーマがより強調され、ククルス・ドアンという人物を通じて「戦争とは何か」という問いが改めて投げかけられていると感じた。

この映画の見どころは、戦争に疲れ果て、子供たちと平和に暮らす道を選んだドアンと、戦士としての自分の使命との間で葛藤するアムロとの関係性である。ドアンは「守る」という行為を通じて戦争から離れようとし、アムロもまた、戦士としての自分を見つめ直す機会を与えられている。この二人の関係性は、単なる敵と味方ではなく、戦争という現実が一人ひとりの人生にどのような影響を及ぼすかを問いかけている。

また、みなさんも印象に残ったであろうガンダムファーストの登場人物たちの描写も、作品の魅力を引き立てている。ブライト・ノアやセイラ・マスといったキャラクターの再登場が、観客にとっての懐かしさを感じさせるだけでなく、彼らが戦争の中で成長し続けている様子が描かれている。特に、ブライトの指揮官としての責任感やセイラの揺るぎない意志が、物語において一層の深みを与えているように思えた。

映像表現においても、現代の技術が大いに活かされている。ガンダムやザクの戦闘シーンが精緻なCGで描かれ、機械の質感や重量感が伝わるようになっており、戦場のリアリティがより高まっていた。特に、荒涼とした島の風景や、荒波の中での戦闘シーンは、視覚的にも緊張感を高め、観客を引き込む力を持っている。ファーストガンダムの手書きアニメーションに対してCG技術がどのように現代風に融合されるかが興味深い部分でもあり、昔ながらのファンでも納得できる仕上がりになっていたように感じた。

この映画は、戦争の虚しさと人間の尊厳、そして平和への願いを再確認させてくれる作品である。ククルス・ドアンという一人の男が、戦争に抗う決意を示すことで、アムロだけでなく、観る者にも「戦争とは何か」を考えさせてくれる。

くしくも今、地球上で大なり小なりの戦争が起こっている。
ウクライナやイスラエルなどで、本来、争う必要もないのに、失われていく命…。
世界中の人々にガンダムのこの映画を観てほしい。
そして戦争などやめて、同じ地球という星の遊園地で遊ぶ仲間として、一緒に笑い合いたい。
命を奪い合うのではなく、尊重し合うのだよ。
別記事でも述べているが、あえてもう一度言おう。
多くの命を奪っておいて、正義もクソもあるか!!

そんなことを、この映画から感じたのである。

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