【気づきと学び】知らんけど――妻とのほんの小さなせめぎあい(・・;)
最近、私の中で「知らんけど」という言葉がちょっとしたブームになっていた。関西方面の人がよく言っているこのフレーズには、軽妙な響きと適度な無責任さがあって、何を言っても「知らんけど」を付け足せば冗談めいて締まるような気がしていた。某コーヒーのCMでも、宇宙人で惑星調査官トミー・リー・ジョーンズが、「知らんけど」について語っている。わたしは「知らんけど」を、ある種の万能調味料のように捉えてしまったのだ。それが、ある日、妻の逆鱗に触れるとは思いもよらなかった。
毎朝、車で妻を職場近くまで送り届けるように通勤している。
朝の通勤時間は、妻との会話の時間でもある。
通常、二人で大笑いすることが多い。
先週のある日も大笑いして出勤できるはずと思い込んでいた。
妻の話を聞いて、私はふざけてこう言った。
「それってさ~、〇〇がダメじゃん。知らんけど。」
その瞬間、妻の顔がみるみる変わっていった。
「あ~ん?、なんだって?」
「いや、だからさ、それってホニャララなんじゃない。知らんけど。」
「あのさ~、その『知らんけど』って言う人さ、わたし、大キライなんだけど! 聞いてるとすんごいムカつくわ!!」
いつものこの時間はカワイイ笑顔を見せてくれる妻が、この日は冷静に、いや冷血に、冷酷な顔、口角はやや上がっているが、目が笑っていない顔を見て、私は内心驚いた。そんなに怒るほどのことかと思いながらも、表情を見る限り冗談では済まない気配がした。そこからしばらく無言の車内の空間が続いた。
この「知らんけど」が、妻のキライな言葉だということが、今回わかった。そして、何がいけなかったのか、冷静に振り返る時間を持つことになった。
今回の出来事で、私は三つの大切なことを学んだ。
まず一つ目は、「自分がおもしろいと思うことを、相手も同じように感じるとは限らない」という当たり前の事実だ。ユーモアは主観的なものであり、万人に通用する笑いというものは、実は非常に稀である。誰もが、ビートたけしやドリフで笑うと思ったら、大間違いなのだ。「知らんけど」という言葉の軽さや無責任さを面白いと感じたのは、私の中での勝手な認識であり、それを妻に押し付けた時点で、失敗は確定していたのかもしれない。
次に、「他で通用する言葉が、妻に通用するとは限らない」という教訓だ。日常会話で使えるフレーズが相手によって効果を変えることを実感した。例えば、友人同士で使えば笑いに繋がる「知らんけど」も、家族や配偶者には逆効果になり得る。この気づきは、普段のコミュニケーションの中でどれだけ言葉の選択が重要かを再認識させてくれた。
最後に、「話のネタや言葉選びを上手にしたいなら、自分の言葉を使ってセンスを磨くことが大切」ということだ。他人の言葉や流行りのフレーズに頼らず、自分自身の表現で笑いや共感を引き出せるようになりたい。それには、相手の感性を丁寧に感じ取り、真剣に向き合う必要があるのだと思う。
妻が怒りを見せた理由を今考えると、あのフレーズに含まれる「無責任さ」が許せなかったのだろう。特に、妻は最もストレスがたまるお硬い職業であるために、愚夫から軽い気持ちで放たれた言葉だったからこそ、怒りを引き起こしたのだと思う。私の中では冗談でも、相手にとっては否定的な意味に取られてしまう可能性がある。言葉は武器にもなるし、癒しにもなる。だからこそ、慎重であるべきなのだ。
とはいえ、少し悲しいのも事実だ。あの軽妙な「知らんけど」というフレーズを、もう少し穏やかに二人の間で楽しめたら良いのにな、と思う。だが、家族、パートナーとのコミュニケーションにおいては、自分の好みや価値観を押し通すだけではいけない。相手がどう感じるかを常に意識しなければならないのだ。
今回の反省を踏まえ、私は新たな決意を持つことにした。家族との会話では、もっと心を込めた言葉選びをしよう。そして、相手が笑顔になるようなコミュニケーションを心がけたい。それがたとえ些細な言葉でも、真剣に向き合うことで、お互いの距離はもっと縮まるはずだ。