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REBEL IN THE RYE (映画漫評③)

 JD・サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、20世紀の文学で重要な小説である。日本では『ライ麦畑でつかまえて』で知られる本作だが、原作国のアメリカでは禁書として扱われた暗い歴史がある。禁書になるにあたってはいくつかの理由がある。日本の宗教書のひとつ『歎異抄』は、はじめ部外者が読むものではないとされ明治期まで禁書であった。それが時を経た近現代で注目され、多くの人々に読まれるようになった。『ライ麦畑…』もそれほど長い隔たりがあるわけではないが、電子書籍の現代であっても世界で年間、20万部の売り上げを記録している、時代を超えて読み継がれる名著である。
 

 作者、JD・サリンジャーの「JD」とは、映画のなかでは「不良」の意味だとされている。彼の半生を描いた伝記映画、『ライ麦畑の反逆児』2019年公開(原題:『REBEL IN THE RYE』)では、彼が『キャッチャー…』を生み出すから過程から、その後のスキャンダルまでをサリンジャーの言葉から、取り巻く環境が分かるように作られている。半分ユダヤ人の血を持って生まれた彼であるが、その人生は成功をつかむまでに困難な道のりがあった。彼が創作を学んだ学生時代、徴兵に出た経験、映画だけのフィクションなのか分からないが、その時から既に『キャッチャー…』の主人公、ホールデンは形作れれていた。徴兵帰りのサリンジャーは、精神病院に入りスランプに陥ったとされる、そういえば、ホールデンが語っているのは精神病院のなかだったような気がする。『キャッチャー』が一躍ベストセラーになった後も偏屈に生きてきた彼はずっとスランプだったのではないかと思う。91歳で亡くなるまで長編はその一作のみであった。それは騒動となった禁書も含め、事件を犯すあやまった読者がいたからであった。禁書となってからも、アメリカでは中学校の教員がその本を授業で生徒に薦めただけでも逮捕される世の中に様変わりした。先に例にあげた『歎異抄』も、信仰書が引き起こすそうした危害を恐れたため、開けることを許されない禁書として隠されてきたのである。結果として、問題作とされてきた『ライ麦畑…』は、確かに偏った小説である。ホールデンという青年がサリンジャーと重なる点は多いが、それは社会の若者の心にも重なって届いていった。その作品によって現実で実際に起こる事件を、世間が作者のサリンジャーに避難の目を向けるのも、正常な心理かもしれない。有名になるほど賛否両論が巻き起こる。けれども、評価し支持する人々がいてこそ、没後もこのような映画が作られ、サリンジャーは誰もが知る国民的な作家なのだろう。いつしか禁書からは外されている。2010年に彼は亡くなるまで、人里離れた森林の家で隠遁生活を送っていた。そうしたミステリアスなところが、彼の伝説化に至った。映画で見る限り、若きサリンジャーの思想は全身芸術家であったと受け取れる。長い余生は文壇から離れて、一般の人のように暮らした。伝説上の作家として生きた生涯であるが、部屋でタイプライターを打つシーンのようにそうした姿を浮かべてしまう。実際の姿はどうだったのか分からない。


 伝記的映画は作られても、JD・サリンジャーは『ライ麦…』の映画をつくることには断ってきた。それは、主人公のホールデンを読む人たちによって、存在するのであって、簡単に映像化にするのはイメージを決定づけてしまうのはよろしくなかったからだ。そのため原本は、本作にも登場する、遊園地のメリーゴーランドの馬が火に包まれている表紙になっており、日本の白水文庫ではピカソの描いたわけのわからない生き物の落書きになっている。

参考/NHK「問題作『キャッチャーインザライ』』

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