『泣く子はいねぇが』(映画漫評④)
秋田県男鹿市の伝統行事、ナマハゲが6年ぶりの復活を遂げたと報じられた。大晦日の夜にそれぞれの家々を訪ね、子どもを泣かせるだけのイメージをもつが、それだけではなく、無病息災や五穀豊穣をもたらす神の使いの役割でもある。怠け心を(=ナマ)剥がす(=ハゲ)という意が由来とされるナマハゲは、鬼の面を被り藁をまとった出で立ちで、何軒もの家に来ては何人もの子どもを泣かせてきた。そのときに、決まって言う「泣く子はいねえがー!」というフレーズは何と言っても有名である。
大学の時、英語科目の馬場先生という人が、近くの映画館から取ってきたチラシを授業の最初に見せて紹介していた。その一枚にあったのが『泣く子はいねぇが』という映画だった。前からその先生は、授業の合間に、鈴木清純のサロンの話やヘップバーンの「マイ・フェア・レディ」を話していたから親近感を抱いていた。そうして小テストの名前の枠から外れたところに「泣く子はいねぇが、よかったです」と書いてみたら、来週、「映画みてきたよ、面白かったよ」と声を掛けてくれた。その時は、本当に観てくれるとは思わず素直に驚いた。『泣く子はいねぇが』が、どういう良さの映画だったのか、それがどのような面白さだったのかはわからない。配信ではレンタルのみとなっている。
エンドクレジットには顔ぶれが様々だった。福山雅治が出資している。音楽は折坂悠太。配役も企画も、気付かないだけで以外な名前が並んで上っていた。女房に子供をはらませて産ませたものの、逃げ出し離婚した男(仲野大河)が、また帰って別人と再婚した元妻(𠮷岡里穂)と何やら分からないことになっていくというのが大胆なストーリーで、ナマハゲがある秋田の男鹿が舞台だ。そして、年に一度、その男がナマハゲに扮するなかで、どんな風に成長していくかが見どころの一つだ。
ナマハゲの伝承の危機がせまるなかで、この6年間、この行事を行わなかったということは、ひとりも子供を泣かせなかったのだろうか。六年前というと、映画が公開された2020年も行われなかったのだろうか。たしかに、昔は良かったものの、現代に突然、人の家の敷居をまたぐのも、ちょっとありえない話だ。しかし、この映画は、そうした恒例の行事を題材にしているだけで、地域の活性や文化の継承に貢献しているといえる。それまで秋田で、一度もこのような映画が作られなかったというのも不思議である。それまでは文化遺産の登録やご当地の代表や名物としての存在にとどまる程度だった。もちろん、企画や監督から、秋田へ協力した形ではあるが、消えつつあるレガシーにこうして手を組む姿勢は、そう簡単なことではない。それがそのままタイトルであらわになっている。『泣く子はいねぇが』、どういった記念で作られた作品かは見当がつかないが、これが今年の安念をもたらすのであれば、見ないに越したことはない。