notoの片隅にて
先日、初めてのノートを投稿した。
実をいうと、アカウントは以前から存在していた。
就活を始めたころ、活動記録漫画でも描いておこうかと思ってアカウントだけ作成したのだ。
意気揚々と登録を進めていたわたしだったが、URLを決めるところまで進めたところで、手が止まった。
「後程変更はできません」。わたしはこれが苦手だった。
何か別のだれか、なにかと被ってしまってはダメだろう。きっとチェックが入って「そのURLはすでに使われています」とでも表示される。だからといって適当な意味のない文字列では、URLを打つ機会があったときに不便だ。そういえば名前もなににするか考えていない。それこそだれかと被っていたら面倒だし……。
一人脳内会議にうんざりして、わたしは登録ページを閉じた。
それっきり、アカウントの存在は忘れていった。
それから数か月の時がたち、先日ツイッター上でnoteのURLを掲載したツイートを見かけた。
ページを開き、森に流れる川のような文章を読んでいれば、自然と「書きたい」という気持ちがわき上がる。アカウントの存在も思い出した。でも、それだけだ。
「やらなければいけないこと」があふれている現状で、手を出すわけにはいかないだろう。
そうたしなめる自分が頭の中にいたので、また書くところまでいたらなかった。
そんな自分が何故結局ノートを投稿しているのか。
その日は土曜日で、その週たまった疲れで昼まで寝ていた。
持ち帰ってきた「やらなければいけないこと」をする予定だったのにもかかわらずだ。
「またか」と、なにもできていない自分にうんざりした。
とりあえずベッドから動くことなく携帯ゲーム機を起動した。それに熱中しているうちはなにも考えなくても済む。
しばらくそうしていると、気持ちが落ち着いて、頭が回るようになってくる。
タイミングを見計らってゲームを中断してベッドから這い出た。
服を着替えて髪を結べば、机に向かおうという気持ちになる。一種の自分のスイッチだ。
しかし、机に向かうまではうまくいったものの、何から始めたらいいのか、うまく考えて行動できず、けっきょくネットサーフィンを始めてしまった。
時間は溶けていき、気づけば夕飯も風呂も済ませて、深夜だ。
せめて絵を描こうとペイントソフトを開いてみたものの、何を描こうか迷って手が動かない。
それでもなにかかきたかった。生産したかった。
たぶん、生産することは、わたしにとって気持ちの発散方法の一つだった。だからなにかを生産しないと、ずっと頭にモヤモヤがたまっていくと思った。
絵がダメなら文字がある。noteの存在は頭の中にあった。
Wordを開いた。考えていることをひたすら書いた。パソコン上なので、家族に見られる不安もなく、家族に関しても書いた。
Wordの標準機能で誤字脱字のチェックだけして、文をコピーした。
noteのページを開く。URLがまだ決まっていない。文はすでに用意している。なんでもいいから早く投稿したかった。てきとうな言葉をローマ字で入力した。ニックネームもそれに準じた名前を付けた。
さあ投稿だ。入力欄に文をペーストする。公開設定。タグは、なんだろう、日記でいいか。
公開。
一仕事終えた気分でノートパソコンを閉じる。フォロー1、フォロワー0、アイコン初期設定。きっとほとんどだれにも見られないし、見たとしても最後まで読まれるかどうか。
時計を見て2時を回っていたので驚いた。こんな時間に投稿してしまって、生活リズムまで丸裸だ。
まあ、匿名だから、気にしなくてもいいか。
モヤモヤを書きだして、頭は比較的すっきりしていた。朝になる前にと、のろのろとベッドの布団にもぐりこんだ。
次の日、めざましアラームを止めようとスマホを見ると、noteからメールが届いていた。
まさかと思って自分の投稿を確認すると、なんと、星が付いている。
最後まで読んでくれた人がいるのか。
素直に驚いた。書いた内容はマイナスの感情にあふれている。自分自身の話をしただけだ。にもかかわらず星がついた。
自分という存在が認められた気分だった。
わたしは愚痴をだれにも言えないタイプだった。愚痴を聞かされるのが得意じゃなかったからだ。
家族に養われている身でありながら、家族の不満を言うなんてもってのほかだと思っていた。
「わるいこ」とは思われたくなかった。
けど、たまにもらしてしまうくらいならいいか。
次の瞬間には、また書きたいことを考えていた。
なんだか少しわくわくしていた。
話を聞いてくれてありがとうございました。よろしければ、また付き合ってください。
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