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田んぼは宝,宝は田から

1.健康を守る
 農家の数人と当時の町役場やJAの職員が集まり、御調 町減農薬研究会(現JA尾道市環境農業研究会・坂本圭示 会長)が発足したのは 1988 年である。JA御調町(現JA尾道市)に勤め、兼業農家でもある私も加わった。自然の仕組みを生かした米作りによって、農家自身の健康を守るのが研究会の当初の目的だった。
 結成を呼びかけたのは、当時御調町駐在の農業改良普及員だった沖田義信さん。彼は福岡県で始まった減農薬運動に共鳴し、JAでの稲作講習会で農薬散布の実態調査を行った。その結果、受講者のおよそ3割が農薬散布後に体の異常を経験していることが分かり、研究会が必要だと考えたのである。
 兼業化がどんどん進み、農家の多くは米作りに手がかけられなくなっている。ほとんどの兼業農家は、病気や害虫の発生を確かめることなく、栽培マニュアルに頼りスケジュールどおりの農薬散布をしている。
 それでも以前より農薬の散布回数は減ったといわれる。それは、兼業農家が手間を省くために、一度の散布で複数の病害虫に効くように数種類の薬剤を混ぜ合わせた農薬や、長い期間効果が持続する農薬を使うようになっただけのことだ。田んぼの実態に応じた病害虫防除が行われているとは言い難い。
 しかし、普通の農家でも無農薬は無理でも、田んぼを観察する少しの手間と、農薬散布を1回でも試しに止めてみる少しの勇気と経験を積めば、収量を減らすことなく今より農薬を減らすことは可能だ。「害虫の被害で黒くなった数粒の米粒が混ざっていても気にしない」、という消費者が増えれば、それだけで減らせる農薬もある。
 農家だけでは農薬を減らす取り組みは広がらない。消費者が意識を変えることで農業の現場も変わる。農家の健康が守られる。それは消費者の健康を守ることでもある。

2.虫見板
 減農薬稲作には田んぼの観察が欠かせない。そのための道具が虫見板だ。福岡県の農家が考案し、その後改良されて全国に普及した。市販されている虫見板はA4版大のプラスチック製の板で、片面に害虫や益虫など田んぼの虫のイラストや農薬散布の目安が書いてある。
 虫見板を稲の株元にあてがい、稲についた虫を板の上にはたき落とす。そして虫の種類や数、生育状況を見て農薬散布が必要かどうかの判断をする。しかし、害虫であるウンカひとつとってみても田んぼには3種類もいて、一般の農家が独学で幼虫から成虫まですべて見分けるようになるのは容易ではない。虫見板を使いこなすには、現場でじかに教えてくれる経験豊富な指導者の存在が不可欠である。
 研究会が発足した 1988 年当時は、この害虫にはこの農薬が効くという知識は豊富でも、虫見板を使って農薬を散布する必要があるかないか判断し、「この程度なら農薬を使う必要はない」と農家に指導できる人は少なかった。
 JA職員である私自身も、研究会での活動を始めるまでは農家から相談を受けると、「被害がでないうちに農薬を散布しましょう」と答えていた。
幸い私たちは、農業改良普及員の沖田義信さんや、彼の紹介で2年間御調町に住むことになった「減農薬のための田の虫図鑑」の著者である日鷹一雅さん(現愛媛大学農学部助教授)という良き指導者に恵まれた。二人からは、虫見板を使い田んぼの観察をすることで、従来の無駄な農薬散布の実態や、農薬は減らせることを学んだ。
 また、田んぼは、害虫だけでなく赤トンボをはじめさまざまな生き物を育んでいることにも気づくことができた。
 虫見板は小さなプラスチックの板だが、そこから豊かな田んぼや身近な自然、新しい農業の姿が見えてくる。

3.害虫を生かす
 ウンカは米粒よりも小さいが、セミの仲間で稲の代表的な害虫だ。セジロウンカ(背白雲霞)、トビイロウンカ(鳶色雲 霞)、ヒメトビウンカ(姫鳶雲霞)の3種類が稲の体液を餌としている。姫鳶ウンカは純国産だが大発生することはない。被害が問題となるのは、毎年梅雨のころ、はるばる中国からの季節風に乗ってやって来る残りの2種類だ。
 セジロウンカもトビイロウンカも、肥料の良く効いた青々と した田んぼに好んで降りてきて、稲の茎に卵を産みつける。卵は一週間ほどで孵化し幼虫が生まれる。ウンカが増えす ぎると葉は枯れ、米粒が変色したり痩せたりして減収する。 大きな被害をもたらすのはトビイロウンカ。秋に大発生する ので秋ウンカとも呼ばれ、収穫前の稲を株ごと枯らしてしまうこともある。
 しかし、自然の仕組みはよくしたもので、年によって飛来数は違うし、毎年被害が出るほど増えるわけではない。ウンカとともに中国から飛んで来るカマキリのような前足をもつカマバチ(鎌蜂)や、背中に子どもを背負って子育てをするコモリグモ(子守蜘蛛)など、田んぼにはウンカの天敵も数多く住んでいるからだ。
 ウンカシヘンチュウ(雲霞糸片虫)というウンカがいなければ子孫が残せない天敵もいる。長さ2~3センチの白い糸のような小さな生き物で、成虫は田んぼの土の中で暮らし ているが、幼虫時代はウンカに寄生して成長する。寄生さ れたウンカの雌は産卵数が減ったり不妊症となり、成長したウンカシヘンチュウが脱出するときに死んでしまう。
 農薬は万能ではない。例えば、ウンカの卵には効かなから、卵のときに農薬を散布すると天敵を減らし、反対にウンカを増やすことになる。最近は天敵には効かない農薬もあるが、餌である害虫がいなくなってしまっては天敵も生きてはいけない。
 害虫もうまく生かし、天敵がたくさん住む田んぼにすることが農薬を減らす秘訣でもあるのだ。

4.農家からの発信
 研究会が発足した翌年の 1989 年、私たちは自ら消費者を募り、生産した減農薬米の産直を始めた。今では、いわゆる合鴨農法などで栽培した無農薬無化学肥料を加え、「みつぎ健康米」として毎月1回、町内をはじめ尾道市、三原市、因島市、福山市などの消費者にJAを通じて届けている。私たちの米は決して安いとはいえないし、農薬を減らして栽培した味の良い米なら他にいくらでもある。にもかかわらず応援して下さる人がいる。
 味や安全性や価格だけで比較されると私たちの米に競争力はない。日当たりの悪い山あいの田んぼでは病気が出やすいし、作業能率も悪い。東北や北陸の良質米の産地と比べると中国に近いだけウンカの飛来数も多い。昼夜の温度差が大きい産地ほどうまい米ができるが、この点でも不利だ。
 しかし、私たち農家が田んぼで米を作ることで、地域の良好な生活環境が守られてきた。傾斜地の崩壊を防ぎ、田んぼに張られた水は洪水を防ぐとともに地下水となって下流の人たちの生活・工業用水となる。
 赤トンボをはじめ、私たちが子供のころから慣れ親しんだたくさんの生き物も田んぼは育んできた。生き物は子どもたちの良き遊び相手になってきた。さらに、農家は農作業や畔や農道の草を刈り、水路を清掃することを通じて美しい農村の景観を守ってきた。赤トンボの舞う黄金色に実った田んぼと赤トンボの舞う秋の風景がなくなってもいいとは、日本人なら誰も思わないだろう。
 身近なところで農家が農薬に頼らず米を作る努力をすること、地域の消費者がその米を食べることは、農家や消費者の健康を守るだけではなく、食べ物と同様に私たちの暮らしに欠かすことのできない身近な自然や私たち日本人にとって大切なものを守ることでもある。私たちの米づくりの価値はそこにある。
 しかし、スーパーマーケットの棚に並んだ米は、そんな作り手の思いを伝えてはくれない。私たちは、米の産直を始 めた翌年からイネづくり体験イベント「たんぼでがんぼー」を開催し、研究会の活動や農業のことを記事にした情報紙「おなかま通信」を配達するお米に添えている。そして、2003 年からは、ささやかながらホームページも開設した。 http://ganbo.cocolog-nifty.com/tanbo/

5.田んぼの学校「たんぼでがんぼー」
 環境農業研究会は前身の減農薬研究会だった 1990 年から毎年2回、6月と 10 月に生産者と消費者の交流会を兼ねて「たんぼでがんぼー」と銘打った農業体験イベントを開いてきた。6月には田植え、サツマイモの植付け、牛の代かき、10 月は稲刈りと芋掘りを体験してもらう。あわせて農業や生き物の専門家を招いてミニ講義を開いたり、田んぼの周辺で植物や昆虫、水辺の生き物などの自然観察会も行っている。
 私たちの良き助言者である愛媛大学農学部助教授(当時)の日鷹一雅さんも講師の一人だ。田んぼの生き物の話や自然観察が好評で、日鷹さんは「虫博士」として子供たちの人気者だ。
 ところで、「たんぼでがんぼー」は、その名のとおり農作業を体験するだけではなく、ガンボウ(広島の方言でわんぱくのこと)してもいいから田んぼで農業や田舎の自然を楽しんでもらおうという趣旨のイベントだ。
 メーン行事は田植えや稲刈りだが、街から来る子供たちのお目当ては農作業ではなくて田んぼや水路の生き物だ。会場の河内公民館に着くやいなや虫取り網とバケツを持ち出し田んぼに繰り出し、オタマジャクシやカブトエビを見つけて歓声を上げる。
 バケツにはタニシ、ドジョウ、カエル、タイコウチ、トンボのヤゴなどが次々に入っていく。子供たちはそれを大事にそうに街へもち帰る。ヘビまで捕まえる剛の者もいて、一緒に参加した親を困らせる。そんな子供たちを見て、農家の老人は「街の子はあんなもんで喜ぶんじゃね」と感心する。
 昔に比べれば生き物の種類も数も減ってしまったが、私たち農家が気づかずにいる身近な自然の価値を参加した子供たちは教えてくれる。「たんぼでがんぼー」は、農家が自然の価値を再発見する場でもあるのだ。
 その自然は農業のありようで豊かにもなれば貧しくもなる。そのことを農家はもちろん消費者にも知ってほしい。
 2003 年からは、日鷹さんや彼の研究室の学生がゲンゴロウの調査に取り組んでいる鈴地区の田んぼで、「たんぼでがんぼー」のスペシャルバージョンとして「がんぼートラの 穴」を毎月1 回開催している。こちらは、私を含めた環境農業研究会の会員有志数人と非農家でも農業や自然に関心のある仲間とで田んぼネットというグループをでっちあげ(?)、田植えや稲刈りだけでは満足できない、より“がんぼー志向”の強い子どもや大人が集まっている。ここでは、米作りだけでなくエヒメアヤメの自生する里山整備やキノコ作 り、ため池探検など、田んぼを飛び出して池や里山など、農村を取り巻く様々なフィールドへ活動を広げている。
 農林水産省も、5年ほど前から農業の役割を子どもや一般市民に知ってもらおうと、「たんぼでがんぼー」や「がんぼートラの穴」のような取り組みを「田んぼの学校」として推進するようになった。2005 年の秋には、三原市と尾道市で、田んぼの学校を推進している農林水産省の外郭団体である(社)農村環境整備センターと県内の田んぼの学校実践者からなる実行委員会主催により第4回全国「田んぼの学校」フォーラムin 広島が開催された。私たち環境農業研究会のメンバーも実行委員の一員としてフォーラムに参加した。

6.合鴨水稲同時作
 我が家では 10 年以上も化学肥料も農薬も使うことなく米を作ってきた。農薬や化学肥料を使わないかわりに田んぼには合鴨を放している。前年田んぼで活躍した合鴨の産んだ卵を孵卵機で孵化させ、雛を田んぼへ放している。彼らは6月から8月まで田んぼで草取りと虫取りに活躍する。穂が出る8月下旬以降は田んぼから休耕田に引き上げるが、田んぼにいる間、彼らは虫や草をとるだけでなく肥料としてフンも供給してくれる。名実ともに我が家の有機無農薬米栽培の最大の功労者である。
 田んぼの除草のためには1反(約10 アール)の田んぼに15 羽から 20 羽の合鴨の雛を、田植え後一週間ぐらいまでに入れてやる必要がある。そうしないと合鴨が食べないイネ科の雑草であるヒエなどが大きくなりすぎて、合鴨をもって しても抑えることができなくなる。田植え後1週間といえば稲はまだ小さい。大きくなった合鴨だと苗を倒してしまうから、田んぼに入れるのは生後約2週間のヒナでなくてはならないのだ。というわけで、田んぼでの役目を終えた合鴨は肉になる。
 「まあ残酷な。田んぼでさんざん働かせておいて」と思われるかもしれないが、生かしておくと毎年増え続けてしまう。また、合鴨は田んぼにいるうちは、虫や草を食べているから餌をほとんど与える必要がないが、田んぼから引き上げた らそうはいかない。川に逃がすと野生のマガモと交雑して 自然の仕組みを壊すことになる。
 だからといって、可愛くないわけではない。畜産農家が愛情をもって家畜を育てるのと同様に、生まれたばかりのヒナの時から大事に育てる。
 そもそも合鴨農法として知られるこの農法の正式名称は「合鴨水稲同時作」だ。合鴨はペットではない。人の食料となる鶏や豚や牛と同じ家畜であり、田んぼは放牧場なのだ。
 合鴨に感謝!合掌!

7.源五郎米
 田んぼに住む日本最大の水生昆虫であるタガメ(田亀)は「田んぼの王者」ともいわれ、子どもだけでなく昆虫好きの大人の憧れの昆虫である。昔は全国どこの田んぼでも見ることができたが、今ではペットショップで高額で取引されるほどの珍しい貴重な生き物になってしまった。環境省はレッドリストで絶滅危惧種に指定している。
 そんなタガメに次ぐ田んぼの人気者がゲンゴロウ(源五郎)だ。しかし、残念ながらゲンゴロウもタガメ同様に珍しい生き物のなってしまった。ゲンゴロウはレッドリストで絶滅危惧種に次いで稀少な生き物に区分される準絶滅危惧種に指定されている。
 既にタガメは御調町ではまったく姿を見ることができないし、ゲンゴロウも御調川周辺の田んぼではお目にかかれない。かろうじて山間部の田んぼやため池に生息しているにすぎない。
 その生息地の一つが鈴地区である。鈴地区では日鷹さん率いる愛媛大学農学部の研究チームが2001年からゲンゴロウの調査を始め、2003 年にはトノサマガエルの調査も行っている。日鷹さんらは、捕獲したゲンゴロウやトノサマガエルに一匹一匹に番号をつけ、番号の付けられたゲンゴロウなどが再びどこで捕らえたかを調べることを通じて、ゲンゴロウやトノサマガエルの行動を把握し、彼らの生態を明らかにしようとしている。何故、鈴にはゲンゴロウが残っているのか、その理由を明らかにすることで、ゲンゴロウの生息環境を守り、絶滅した場所での再生につなげようと考えている。
 春、ゲンゴロウは田んぼに水が張られると、越冬場所であるため池から田んぼへと移動する。ゲンゴロウにとって田んぼは繁殖場所であり、子育ての場所でもある。ゲンゴロウは田んぼに生えているオモダカやイボ草といった太目の茎をもつ雑草へ卵を産みつける。生まれた幼虫は、田んぼの水の中でユスリカの幼虫やオタマジャクシを食べて育つ。やがて、幼虫は畔の土の中に穴を掘りサナギになり成虫とな る。田んぼやため池は人間が稲作のために作った人工的なものだが、ゲンゴロウは人間の営みにうまく適応して身近な場所で生きてきた。
 だが、畔塗りや草刈の手間を省くために畔がコンクリートで固められると、幼虫はサナギになる場所を失ってしまう。中干しで田んぼにひびが入るほど水を落としてしまうと幼虫は干上がってしまう。餌のオタマジャクシも死んでしまう。運よく水路に逃げ込むことができても、三面コンクリート製の水路では流されて溺れてしまう。ゲンゴロウが姿を消した御調川沿いの田んぼは、そんなゲンゴロウには住みにくい田んぼばっかりになってしまった。さらに、農薬は害虫だけでなく稲に害を及ぼさないゲンゴロウにも効いてしまう。
 では何故鈴にはゲンゴロウが生き残っているのだろう。日鷹さんたちは、鈴地区の田んぼやため池がゲンゴロウの生息に適した要素を残しているのではないかと考えている。
 鈴では20 年ほど前に御調町で最初に基盤整備がされた。とはいえ、今の基盤整備ほど乾田化が施されていないため に、田んぼの畔際はヒヨセ(明渠)が掘ってある。ヒヨセは中 干しや収穫前に田んぼの水を落としやすいようにすることと、山から染み出る冷たい水が直接田んぼに入らないようにす る目的で作られている。日鷹さんは、このヒヨセに生えている水草がゲンゴロウの産卵植物となり、中干しの際、ゲンゴロウの幼虫の非難場所として役立っているのではないかと考えている。また、水の不便な鈴地区では、基盤整備の際にたくさんのため池を作った。このため池がゲンゴロウの越冬場所として大きな役割を果たしているのではないかとも推測している。
 農家はゲンゴロウのためにヒヨセやため池を作ったわけではないのだが、結果として農家の米作りの知恵と工夫がゲンゴロウを守ることにつながった。さらに言うならば、そんな田んぼで農家がお米を作り続けたことでゲンゴロウの生息場所が守られているともいえる。
 2003 年4 月、日鷹さんや私もメンバーとなっている田んぼネットが関わる中で、鈴地区に生息するゲンゴロウを守ることと、ゲンゴロウを地域の豊かな自然の象徴としてお米を有利販売することを主な目的として、鈴地区の農家により源五郎米研究会が発足した。
 研究会ではヒヨセを手入れし、強い中干しをさけ、農薬の使用は最小限とする減農薬栽培に取り組み、やむを得ず使用する農薬も日鷹さんの協力を受けながらゲンゴロウに影響の低いものを使用することにしている。こうして栽培され た米は、「源五郎米」と命名し、JAを通じて農家の努力が報いられる価格で販売されている。
 源五郎米の販売量はまだ僅かだが、たんぼでがんぼーと源五郎米の取り組みは、農林水産省が主催する第1回田園自然再生活動コンクールで「子どもと生き物賞」を受賞した。御調町減農薬研究会の取り組みとして始めた「たんぼでがんぼー」や「がんぼートラの穴」が、子どもに対する食農教育や環境教育の取り組みとして評価された。さらに、この取り組みが、源五郎米の生産と販売に発展するなど、農村環境の保全や地域の活性化にも繋がっているというのも受賞理由となっている。
 こうした、生き物の再生や共生を目指した米作りの取り組みは全国各地で広がっており、各地で源五郎米のような「生き物ブランド米」が販売されている。
 つい先ごろ、兵庫県豊岡市では農家と県が協力してコウノトリを自然に返す試みが始まった。豊岡市の農家はコウノトリが生きていけるように、農薬の使用を減らすなどして田んぼにコウノトリの餌となるカエルやドジョウ、タニシなどを増やす米作りに取り組んでいる。さらに、生産された米は
「コウノトリの舞」として販売している。
 農業には多面的機能があり自然や環境を守っているといわれている。農薬や科学技術が発達していなかった昔であれば自然の生き物を意識しないでも農業と自然はうまく調和し共生していた。しかし、現代では農家が意識しなければ自然を守ることはできない。
 私の田んぼには残念ながらゲンゴロウはいなくなってしまったが、環境農業研究会も源五郎米研究会と同様に、会の名のとおり自然と共生し自然を豊かにする農業を目指している。

8.田んぼは宝、宝は田から
 
合併する前の我が町のキャッチフレーズは「人と自然が輝く魅力ある町」だった。町は都市化されておらず一見自然は豊かそうに見える。しかし、農薬の空中散布にも関わらず松は枯れ、手入れされることもなく山は荒れた。松茸も出なくなった。減反と過疎により耕作放棄された農地も増えた。河川改修や圃場整備は防災や生産性向上のために必要なことだが、水路や護岸はコンクリート化が進み、多くの生き 物が住処を追われている。
 私たちも過去において、今では使用禁止になった毒性の強い農薬を使ったり、家庭排水の垂れ流しで多くの生き物を殺してきた。 その結果、今では田んぼや周囲の水路を住処とする生き物はめっきり少なくなった。
 便利さを求めることと自然を守ることを両立させるのは大変なことだが、私たち日本人は自然とうまく折り合いをつけながら日本特有の美しい自然を作り上げた。その中心にあるのが主食である米を栽培すると同時に多くの生き物を育んできた田んぼである。そして、田んぼは人を含めた生き物の命の源なのだ。
 20 年も前、秋田県仁賀保町で長年有機農業に取り組んでいる人から「宝物の語源は『田からのもの』」と教えてもらったことがある。そう、田んぼは正に「宝」であり、田んぼが育てるお米や生き物、そして美しい景観もまた、かけがえのない「宝」なのだ。
 この「宝」をよみがえらせ、次世代に引き継ごうと、各地で市民と農家とが協力して、田んぼを舞台に様々な取り組みを進めている。国や行政もこうした取り組みを支援する制度を整えつつある。
 人も自然の一員だ。自然が輝かなければ人も輝けない。私たちも農業をとおして自然を再生し次の世代に伝えたいと思う。

※これは1999 年に中国新聞の「緑地帯」に掲載したもの改編・加筆したものです。

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