おわりに 慈しみの力(4)
こちらのnoteでは、17時30分から15分間、ClubhouseでMBSRトレイニーが読書会を行っている内容の予習として、この場をお借りしております。
気になる方は、「人生が変わる読書会」をご視聴ください。
汚れを通見る見る
一つめはあるお坊様の話…
道で汚い布きれを見つけ、最初は触る気にもなりません。
…最終的に寺に持ち帰り洗ってみます。何度も何度も何度も…
ついに黒くて汚い水の中から、役に立ちそうなきれいな布きれが見えてきて、衣の一部として使えそうです。
同様に、汚い言葉ばかりの人で、まったく価値のないような人も、正しい努力(正精進)によって、その人の中に、温かくて光り輝く宝石を見出すことができるかもしれず、それこそがその人の本当の性質なのです。
もし言葉が汚くて行動も悪かったらどうでしょう。
砂漠をずっと歩いていると想像します。水はどこにもなく、暑くて疲れています。そんなとき牛の足跡に出くわします。
その足跡には水が溜まっています。手ですくおうとすると、泥が混じってしまって飲めません。
そんなとき、まず膝をつき、前かがみになり、ゆっくりそっと水に口をつけ、ひとすすり、気をつけて少しずつすすります。これで喉のかわきを癒やすことができます。
…努力によって、救いがたく見える人にも、善の心を見つけることができるのです。
もうひとつ…
私が瞑想センターに滞在している時のお話です。
とても無愛想な男性が通りの向こうに住んでいて、男性に私が手を振っても応えてくれません。それでも私は彼を見かけたとき…手を振り続けます。一年、また一年…そのうち、ある日のこと、なんと彼の方から手を振ってくれるようになります。
実は、この男性、数年前にひどい事故にあい、昏睡状態から回復し始めた時に、私と出会っていたのです。当初、指も動かすことができずに、手をふることができなかったのです。もし、私が途中で手を振ることをやめていたら…私は、この男性がいかに善い人かということを、知ることはできなかったでしょう。私が長期間留守にした時、彼は私を心配して、瞑想センターを訪問していたそうです。
…今、彼と私は友人です。