第3章 ヴィパッサナー瞑想とは(1)
こちらのnoteでは、17時30分から15分間、ClubhouseでMBSRトレイニーが読書会を行っている内容をシェアしております。
瞑想とは一つの言葉です。瞑想には色々な方法があり、それに関する書物も多く出版されています。
ユダヤ・キリスト教には、祈りと冥想という2つの重複する実践法があります。祈りは霊的存在に直接話しかけることであり、瞑想はある特定の対象、宗教教義や聖典の言葉について長時間、意識的に熟考することであり、集中瞑想を指します。
ヒンズー教の瞑想の一つにヨーガがあります。これも純粋な集中瞑想です。
仏教でも、集中力を身につけることはとても価値があると考えています。しかし集中力よりも重点のおかれる大事な要素が、気づき(マインドフルネス)です。仏教の瞑想の目的は、気づきを育てることであり、集中力はこの目的に達するための道具として用いられます。
禅の瞑想には、二つの異なる方法があります。一つは、意志の力のみによって直接気づくこと。ただ坐ります。もう一つの方法は、臨済宗で主に実践されますが、心を騙して思考しないようにさせ、ただ気づくという方法。
もう一つの方法は、密教(タントラ仏教)で、これは禅とはほぼ反対の方法。思考少なくとも私たちの日常の思考はエゴが現われたものであり、エゴとは私たちが通常自分だと思っている「私」。思考は自己概念と厳密に関連しています。
修行者は、エゴがどのように組み立てられ、形成されるかを観察し、自分のエゴを含めたあらゆるエゴの利己的な性質を理解して、エゴの束縛から逃げるのです。エゴを持つか、持つことを選んだ場合は、自分のエゴか他の誰かのエゴか…あるいはエゴを持たないか、という状態に置かれ、気づくのです。結果は決して簡単な修行ではありませんが、純粋な気づきです。