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【お茶屋】創業200年!長く続けてこれた3つの理由
2024年、カクタ田中清助商店は創業200年の節目の年を迎えました。
東京商工リサーチによると、2022年に倒産した企業の平均寿命は23.3年。200年続けていくことの難しさを数字が物語っています。
戦争や災害、需要の変化など多くの困難を乗り越え、なぜ田中清助商店が200年続けてこれたのかを私なりに考えてみました。
1.田中清助商店のはじまり
田中清助商店は、文政7年(1824年)に大阪の商人である扇屋田中清助が与板(与板藩)で扇屋清助商店を創業し、今のカクタ田中清助商店に至ります。
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江戸時代の与板は、信濃川水運の川港町としての役割が強く、町場は支流黒川沿いに立地しすぐに信濃川に合流することから、新潟・長岡方面以外にも大坂廻米等を扱う廻船問屋が多く生まれ、賑いを見せたようです。(与板藩 - Wikipedia参照)
そういった状況の中で、扇屋田中清助が与板で卸問屋を始めました。
地震や大火、戊辰戦争により、何度か消失しましたが、明治以降は自然災害や戦争で被災することなく、明治40年築の蔵や建物が現存しています。
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今はお茶や乾物のみを取り扱っていますが、蔵に眠っている品々を見ると、煙草や薬を販売していたり保険屋をしていたりと、昔は手広くやっていたようです。
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2.田中清助商店が200年続けてこれた理由
勝海舟が生まれた年が1823年。その翌年から続いているわけで、江戸時代後期から令和までの様々な史実を鑑みると、200年の歴史の重みを感じます
私が考えるに、200年以上続く企業ともなると、食品メーカーや伝統工芸など長年培ってきた独自の技術やノウハウを持っています。
一方、うちは自社で生産や加工をしているわけではなく、産地の問屋から商品を仕入れて、小分けにしてスーパーや商店に販売する、卸メインのビジネスモデルのため、独自の技術を持っていません。
そんなうちがなぜ200年続けることができているのか、理由を考えてみました。
1.地域のお客さんや商店に買い支えてもらったこと
与板町商店街を歩くと肩がぶつかるくらい賑わっていた昭和の高度経済成長期。その頃の与板の商店はウハウハだったと思います(笑)
しかし、高度経済成長期から半世紀、高齢化や買い物スタイルの変更により、地元のお客さんは全盛期に比べてかなり減っています。
それでも普段使いやギフトなどで、地元の多くのお客さんや様々な会社(お店)から注文を頂いています。
特にコロナ禍だった2020年はイベント出店や試飲販売ができなくて大変でしたが、地元のお客さんに支えられた1年でした。
非常事態宣言中の新茶シーズンも「大変だろうけど頑張れ」などと多くの方々にご来店頂きました。
地元のお客さんあっての田中清助商店。老舗のお茶屋のありがたさが身にしみた瞬間でした。
2.スーパーマルイさんの規模が拡大していったこと
創業時から付合いのあったスーパーマルイさん。昭和から平成にかけて、スーパーの店舗数をどんどん増やしていきました。
そんな右肩上がりのスーパーマルイさんに、多くの商品を卸しているうちも、おんぶにだっこ状態で、売上が拡大していきました。
しかし、時代が進むにつれ、お客さんの茶葉離れや大手飲料メーカーの有名商品が多く並ぶようになり、厳しい状況になりつつありました。
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それでも大手飲料メーカーの有名商品の中で、ゴールデンゾーンの棚割をうちのお茶商品が勝ち取っているわけで、まだまだ捨てたもんではありません。
見渡せば、他の近隣スーパーのお茶コーナーにあるのは、大手飲料メーカーの商品ばかり。(しかも1500円以上の高級なお茶を取り扱っているのもスーパーマルイさんだけ)
その中で、地元のお茶屋のお茶をメインで取り扱っているスーパーマルイさんと、うちのお茶を長年愛用してくれているお客さんには感謝の言葉しかありません!
3.質の高いお茶を仕入れることができたこと
スーパーマルイさんの創業時から取引していましたが、昔からの関係性だけで、ゴールデンゾーンの棚割は勝ち取れません。
販売実績があるからこそ、ゴールデンゾーンの棚割を維持できていると思っています。
お客さんやバイヤーの方からは「カクタさん(うちの屋号)のお茶であれば間違いない」と、有難いお言葉を頂くこともあります。
ひとえに、質の高いお茶を卸してくれる仕入先のおかげです。
以上3つが200年続けてこれた主な理由だと思っています。
奇しくも、帝国データバンクの「100 年経営企業」アンケート調査では、100 年以上事業が続く理由の第1位が「取引先・顧客との信頼関係」でした。
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/p220501.pdf
まさにその通りであり、お客さんや仕入れ先、地域の人や会社(お店)に支えてもらって、続けてこれているのだと改めて実感します。
3.田中清助商店の今後
せっかく200年続いたのだから、300年でも400年でも続いて欲しいです。
とはいえ、続けるために自分や家族の人生を犠牲にするのも違うと思います。
少なくとも私が動ける間は続けていきたいでし、将来、子供たちがお茶屋をやりたいと言ってくれたら、万々歳です。
そんな夢を見ながら、いざとなった時に不安なく継いでもらえるよう、財務を健全化していくことが今の目標です。
カフェやイベントで、いつも子どもたちとワチャワチャやっていますが、家族で仕事ができることが自営業の特権であると思っています。
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子どもたちには親たちの仕事を楽しんでいる姿を見てもらい、将来、お茶屋じゃなくとも自営業として主体的に働いて欲しいです。
何か200周年イベントもやりたいのですが、零細企業のうちは限られたリソースなので、、やれる範囲でやりたいと思います。
200周年の2024年も、ブレずに力まずやっていきます!よろしくお願いします!