子どもの頃、外食といえばカツ丼だった。
手持ちの仕事が少し落ち着いたタイミングで、車で1時間ほどの場所にある岩盤浴に向かう。
サウナは好きだが、岩盤浴はそんなにという感じだったが、先日名古屋で友人と訪れてから結構好きになってしまった。まだまだ柔軟になんでも好きになれるようだ。
ここは本を自由に読めるライブラリースペースがあり、デスクもあるので、サウナで心身をほぐしつつ、仕事もやろうという日にたまに利用している。
妙に料理関係の本が多いのが気になっていて、ちょっとがっつり読もうと思っていた。この日は仕事はほどほどに本を読み漁ることにした。
盛り付けの本、多肉植物の本、漬物レシピの本と幸せになる勇気。5冊ほどをざっと読み上げた。
漬物の本を読んでいて、じゃがいもで作った床に野菜を漬け込むというレシピを発見し、衝撃を受ける。まだまだ知らない料理があるものだ。
寿の湯に入る前に近くの千丈寺湖を訪れ、少しだけ景色に癒される。その後、ランチに国道沿いにあるトンカツ屋を訪れる。
部位ごとの食べ比べセットなどもあり、本来の私ならそれを選ぶはずだが、この日はなぜかカツ丼に惹かれる。
カツを一緒に煮込むタイプではなく、後から卵とじをかけるタイプ。
下味がしっかりついたサクサクのカツがおいしい。このカツ丼を食べながら、ぼんやりと自分の食遍歴を思い返していた。
幼稚園・小学生時代は、とにかく給食に苦しめられた。
幼稚園時代には「村雲汁」という恐ろしい名前の汁を献立に発見し、恐怖におののき、幼稚園を休む。そしてその日は確か小学生になった兄の運動会の日で、ひとりでお留守番もできず親について出かけた。
そこにまさか、幼稚園のみんながやってきたのだ。鉢合わせ、「あれ、なんでいるの?」という訝しげな表情でちゃんと村雲汁を啜った園児たちがこちらを見ていた。はじめての気まずい体験である。
小学生時代も引き続き「村雲汁」は提供され続け、「沢煮椀」など新たな恐怖ネーミングの献立に苦しめられる。今となってはとんでもなく恥ずべき行為であるが、どうしても食べられないおかずをむんずと手につかみ、床に投げ落としたら、向かい合って座っていたマエダユカさんの甲に全て乗り、上履きに汁染みを作った。ショッキングな出来事すぎてその場をどう切り抜けたのかは記憶から削除されている。
我が家はあまり外食に行く家ではなく、外食といえば誕生日のファミレス、日曜日にラグビーをした帰りに買うマクドナルド、田舎に行ったときにスーパーに入っているうどん屋で食べる「カツ丼ミニ冷やしうどんセット」くらいのものだった。その分外食は楽しみなものだった。
中学時代は、今の95kg風貌からは想像もつかないが、サッカー部に所属し、レギュラーでもなんでもないものの平日、休日問わず部活で体を動かした。
この時に玉ねぎスライスなどシンプルな野菜レシピの旨さに急速に気づき始める。そして、休日は友人と遊ぶのではなく、自らパン屋を調べて親にここに連れて行ってくれと頼み、パン屋巡りを開始するのである。
そして大学時代、兵庫県から京都まで通学する中で覚醒する。
サークル活動の拠点となる出町柳を目指すときの乗り換え駅京橋で訪れた中華そば花京に衝撃を受ける。(今は京橋にはないのか)外で食べるラーメンってこんなにうまいのか、と。
ここからまずラーメン屋巡りを開始し、講義をサボって梅田の駅ビルなどにも頻繁に出没するようになる。デートでも見栄を張ってちょっと良い目の店を選んだり。
その分金がなくなり、豆腐そぼろの弁当を作ったり、痩せるためにスープを作ったりするようにもなる。自炊を始めたのはこの頃からだろう。
そんな思い出がふわっと舞い戻る。飯には味と共に思い出が刻まれる。だからまだまだ食いたい。