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雑記|低気圧のせいだろうな。

事務所ライブ終わりに、先輩のウフフワッハッハ師匠に誘われて、島内というものさん、仙水と昼から飲んだ。芸人と飲むのは良い、原風景だ。なんて事ない下北沢の居酒屋。仙水のお湯君は偏食で何も食べられない。僕は脚本ばかり書いていても、やはり芸人で、彼等と過ごして行きたいのだ。

芸人というのは職業であり、生き方で、人種で、哲学、宗派だ。

僕が息が出来る様になったのは、18歳の頃、養成所に通う様になってからだ。自分と同じ価値観を持った人がこんなにいて、しかも、多種多様にも感じた。辞めるとか辞めないではなく、ココしか無いのだと感じた。

それから年月が過ぎて、未だ売れてもないが、その宗派の教えのおかげで、外側に広がって、仕事は増えてきた。とはいえ、外側の技術を得ても、やはり、ソコを居場所にしようとはならず。ココが一番心地が良い。芸人の自分の為にも一人コントをしないとどうしようもない。

少し、脚本の仕事も落ち着いた様に感じる。
怯えず、迷わず、楽しめるところまで来た。
中身を詰めていく作業は元々得意だ。初動の遅さを楽しさとして捉えて、脚で稼ぐ。

美味しいモノを一緒に食べに行こうという行為は不思議だ。何なのだろうか。価値が高い。会話と食事…時間や体験を共有するからだろうか?

インプットや自分の趣味やトレーニングを後回しにする類の甘えを捨てる。生活に組み込む。

焼酎をあまり飲まないのだけれど、飲んでみて割と美味しかった。金宮が飲みやすく、それ以外に飲んだモノが味に深みを感じられた。立って飲むのも悪くない。一緒のくださいによる体験はとても良いんだな。世界がリンクして広がるから。それが一緒に食べ飲みする価値のひとつか?

みんな静かに困っている
無表情にするために表情筋を使う
音を立てない様につま先に力を入れる
呼吸なんて家以外でしない

脚本や文章を書き出した時、色々な書き方がサンプルにあり、よくわからなかった。しかしそれは当然で「誰が誰に何で書いたモノか?」が抜け落ちた状態で調べていたから。いわば、技術としての、書き方にとらわれていた。そういう点もとても大事だが、その3年後の今思うのは、「相手に伝える」という一点だけなのではという事。ジャンルや界隈、価値観、知能指数、個性など様々な要素を踏まえて伝われば何でも書き方なんていい。芸人なのだから面白ければ良いという鉄の掟に従っていれば良い。

面白いヤツはかっこいい。

言語化が出来ない事や、何かわからないイメージを形にするのが仕事なんだ。誰も答えなんて持ってない。聞くな。考えろ。深く潜れ。必ず答えはある。

チキンラーメンと、卵と、めかぶと、納豆しか無かった。雨の日。卵と納豆とめかぶをツケダレにして、チキンラーメンを、つけ麺みたいにして食べた。とても美味しかったが。なぜ別々に食べなかったんだろうか。低気圧のせいだろうな。




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