![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/119034282/rectangle_large_type_2_74277b15ea993e56d94932b64a4816c1.png?width=1200)
短編小説|常温の水がえぇ
【1】
ファンです…と声を掛けられて振り返るとモジモジとしているオジサンが立っていた。
50代ぐらいだろうか。
会社帰り。
駅に向かっている時、不意に声を掛けられるのにも慣れてきた。
あ…ありがとうございますと言うと、X読んでますと言われた。
Twitterではなく、Xと言えるタイプのオジサンなんだなぁと思った。
発話されるXがSNSの名称には感じられない俺はとても時代についていけていない。そしてXは…《読むもの》なんだな。
あの…これ…と渡された小さな袋にはタバコと小さなペットボトルの水、そして手紙が入っていた。可愛らしいスヌーピーの便箋。わざわざ便箋を選んでくれたのか。
俺の名前は鈴木太郎、33歳。
なんて事ないサラリーマンだ。
訳がわからないのだが最近…バズっている。
三カ月ぐらい前…夏前のある日、何と無くSNSで呟いた。
《常温の水がえぇ》
と呟いた。
すると98人しか居なかったフォロワーが一気に1000を超えた…。いいねは一万を越えた。
初めは嬉しかった。
一度はバズってみたかったから。
フォロワーは10000人…50000人…100000人と増え続けている。
しかし…全員オジサンなのだ。
フォロワー全員オジサン。
全員年上。
中身がどうかはわからないが、アカウントはオジサンの写真の、オジサンな呟き。女の子とかならいざ知らず…オジサンになりすます人などいるだろうか?
いくら探してもオジサンしか、この仮想空間にはいない。
それに気がついた時には脳味噌が揺れた。
比喩では無く、文字通り本当に揺れたと思う。
なんか、SNSのアナリティクスとかいうデータを見れる奴のグラフの色が単色オジサンカラーだった。
それを不意に見た夜は寝れなかった。
データが言うんだ、お前はオジサンにだけ見られているよと。
俺のアイコンは自分が釣りをしている、魚を釣った時のものにしているから顔が割れている。
今更変えてもこわいと思って、そのままにしている。
逆にいうと、俺のソーシャルな情報はそれだけなのに街中で声を掛けられたり、会社に出待ちが増えている。
いつから俺はオジサンに好かれるようになったんだ…と思いながら、ラーメン屋に入った。ラーメンを頼んだらチャーシュー麺と餃子、半チャーハンが出てきた。厨房を見ると店主がニコリと微笑んだ。
会釈すると、不思議そうな顔をして、アルバイトの女の子が「なんかその…サイン書いて貰えるかって」と言って色紙を俺に渡した。
そういうのしてないからサインなんて無くてね、普通に名前書くだけで良い?と聞くと良いと思いますと彼女は言った。
鈴木太郎と適当に書いて渡した。半チャーハンを一口頬張っていると、そこじゃねぇよ!と店主にアルバイトの女の子が怒鳴られている。
振り返ると沢山貼られている色紙の並びの一番端っこに、俺の色紙を貼ろうとして怒られたらしい。一番見やすい、いいところに貼られていたパパイヤ鈴木の色紙を外して俺の色紙に貼り替えろと怒られている。しんどすぎる。
俺は気まずくなって、美味しかったです…と言って二千円置いて、店を出た。
【2】
タレントでも何でもない俺がバズり、オジサン層に人気が出た。
《常温の水がえぇ》と呟いてからは、なんだか怖くて呟いていないにも関わらず、フォロワーもいいねも増え続けている。
タバコを吸う為にベランダに出る。
ずっと同じタバコなのに、人から貰ったタバコは味が違うように感じる。
そういえば、最後に自分でタバコを買ったのはいつだろうか。
貰った手紙を開く。
『応援してます、ありがとうございます』
とだけ書かれていた。
スヌーピーがチャーリーブラウンに抱かれていた。
ただのサラリーマンの稼働していないSNSに感謝する…何がバズるかわからないモノだ。
プシュ。
これまた貰ったコーヒーを一口飲む。
あぁ。パチンコに行きたい。
しかしパチンコなんてオジサンの溜まり場にいけば、どうなるかわかったもんじゃない。
サウナもしかり。
オジサンにオジサンが群がるシーンを若者や子供に見せたくはない。なんだか、見せたくはない。
スターは孤独だ…なんていうけれど、これがそれだろうか。
いやいや。
勘違いしてはいけない。
俺はオジサンと若者の境目にいる普通のサラリーマンなのだ。
スマホをみると、フォロワーがまた増えている…。アンチすら出てきているが、アンチもオジサンばかりだ。
缶にタバコの吸い殻を入れるジュッという音と共に、今日が終わった。
【3】
俺はそれからアレよアレよと時の人となった。
その後もタレント業などはしていない。
SNSも特にそれ以降はしていないが、オジサン人気だけ、兎に角高まっていった。
何年かに一度現れる、『ギャルのカリスマ』のように『オジサンのカリスマ』として存在し続け、何やかんやでアレから10年が経ち…歴代最年少の総理大臣になった。
《常温の水がえぇ》の呟きをキッカケに、日本のオジサン…つまり人口の20%近くを抑えた。
それはつまり、日本のオジサン達が影響する経済圏や文化圏を抑えることでもある。
若者や女性、子供やお年寄りからすると気がついたら人気があった何を成したかわからないオジサンに俺はなっていたのだ。何を成したかわからない大物政治家なんて、山ほどいるのだから問題はない。
俺は世界中に井戸を掘る支援策を立てた。
それにより、また、世界中のオジサン達が俺を支持するようになった。
その井戸の水を飲んだ人々もオレの支持者になり、もはや国や地域、宗教、皮膚の色や目の色も関係なく世界中のオジサンはオレの虜だ。
しかし。
だからこそ。
俺は恐れている。
国家機密レベルで隠さないといけないこと…。
そう俺は…キンキンに冷えた水の方が美味いと思っていることだ。
あの日、何となく呟いた《常温の水がえぇ》…。
そんな訳ない。
キンキンに冷えた水のが美味い。
常温の水がえぇ時もあるけど、アベレージキンキンに冷えた水のが美味い。
こんな事、もはや言えない。
世界中の、オジサンを敵に回すことになる。
常温派とキンキン派の分断を生みかねない。
しかし…。
世界中の人々から隠れて飲む冷たい水がうますぎる…。
冷たい水の美味さに、淫靡さや背徳感を上乗せして、喉越しを楽しんでいるのは俺だけだろう。
今日も俺は誰もいない部屋で風呂上がり、キンキンに冷えた水を一人で飲み干しながら、遥か昔に呟いた《常温の水がえぇ》のいいね数を眺めて過ごすのだ。