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雑記|言葉ひとつ足りなくて

ヤクルト1000が手に入った。コンビニで左右を確認して、手にとってレジに行くだけでドキドキした。元々、こういうものをちょくちょく飲む僕は(効果もだけれど味も好きで)数ヶ月やきもきしていた。皆がこの数ヶ月で眠れる様になったのか、飽きたのか。それだけ皆、人には言えないけれど眠れていないし眠りたいのだろうか。

色々棄てる。母親は昔から賞味期限を気にしないのか、何なのか、仕送りにバンバン切れたモノを入れてくる。部屋に棄てられずにたまる。流石に流石にとそれを棄てる頃には別の賞味期限が迫ってくる。循環を調えるには一度破棄するしかない。何とも罪悪感。ありがとうという気持ちと共に。何だろうか。これが人間の業か。考えすぎ。

プロ野球も中盤戦が終わろうとしている。コロナがあまりに影響しすぎている。野球は繊細で不十分な所もあっての面白さ。その独特なバランスをウイルスが崩してしまった。

文化を守る事は難しい。今はとても大事な時期だ。

ニラばかりたべている。キノコも食べている。八百屋が破格。安すぎる。夏の恩恵か?

好きも嫌いも無関心もない時間が落ち着くのだ。

引っ越してから一度も開けずにいる箱。それでも箱としてある存在感。

Zoomでのネット番組jockeyで実験。しれっと。何かしらやれば何かしら動く。

自分がモガいて、何も進んでいないと躍起になっている事が誰かの救いになっていたりするのだからワカラナイ。近くで観れば悲劇、引いて観れば喜劇、横から観ればHERO。

いつだって言葉ひとつ足りなくて、いつだって言葉ひとつ多い。ビタで言葉を出せたらセンスなんて要らない。言葉のコントロール。高さとしての状況、コースとしての温度、速度としてのフレーズ。フレーズは一番最後、わりとどうでも良いと大先輩に教わったこと。

肩を動かす、股関節を柔らかく、姿勢が大事。リンパよ流れて何処に行く。


言葉の強さは意図的に読もうとした人にしか伝わらないこと。言葉の弱さは意図的に読もうとしない人には伝わらないこと。
音は流れ込む。光は刺激する。身体表現は誰もが出来そうで出来なさそうで伝わりやすい。
で、あれば、言葉を伝えたいなら音や光や身体表現に頼っても良いのではないか。それらに頼るにはどうすればよいのか。やはり、言葉を紡いで書くのだ、人に話して口説くのだ。語るのだ。言葉に頼って生きている。出来るだけ日常にある言葉で話していたい。知らない言葉を受け入れたい。言葉ひとつを伝えるためにストーリーを創って音や光に頼って、身体が動かないから誰かに動いて貰って何かする。でも少し言葉に疲れたら公園のベンチで好きなものを飲みながら風に揺れる木々の声を感じていたい。字余り。字余り?