短編小説|早上がりバトルロワイヤル
【1】
私、田所サキは猛烈に早上がりがしたい、予定は何もない。
つけ麺屋でのアルバイト。
出勤して30分が過ぎた。
私は今、早上がりがしたい。
家に帰りたい。
待っているペットもいない。
何一つ帰ってしなきゃいけない事も、待ち合わせも、観たい動画とか読みたい本がある訳でもない。ただただ、なんか早上がりがしたい。
たまになんかある発作。
フリーターの職業病だと思う。
昨日の晩もアルバイトがあるからと少し早めに寝たし…、台風が来ているからと雨が降り出す前にと家を出たのに…なんかもう早上がりしたい。
早めに出た上で結局、雨に打たれてしまって、靴がぐちゃぐちゃになってしまった時はむしろ『私が行かなきゃ店が回らないぞ…』みたいな使命感があったのにな。
制服に着替えた瞬間早上がりしたくなった、早上がりしたい。早急に。
来月の生活が苦しくなっても良いからなんか早く帰りたい。未来より今。
誰もが経験した事があるであろう発作的に『早上がりなんとか出来ないか!?』と変な案ばかりが頭の中をグルグルしちゃうヤツ。
それが今。
体調が悪いとかでもない。機嫌が悪いとかとでもない。でもなんかとにかく、前掛けを外し、キャップを外し、労働から解き放たれて、スマホを弄りたい。
ザーーーーッ。
「雨止まないね」と先輩スタッフの龍二さんが言った。
「台風もうそろそろ直撃の時間ですね」
「これより強くなるんかぁ…きつ」
台風の1番強いタイミングでも早上がりしたい…。深刻。モゾモゾする。
龍二さんは良い人だ。仕事も出来る。シフトが被ると色々教えてくれる…のもあって早上がりしたいのかもしれない私。この人といるとちゃんとしなきゃいけないプレッシャーがある。
「お客さん来ぇへんなぁ」
「台風ですもんね…お店開けるんだーって思いました」
「なー。店長、今車で向かってるらしいよ。二人で足りるよなぁ」
「来れるんですかね?」
「大人って感じよな。埼玉からやろ?」
「そもそもお客さん来てないのに〜」
「な。あ、ちょうどいいや。肉味噌ご飯の肉味噌の仕込みやろ。教えたるわ」と龍二さんが言う。ほら。
やはりほら、良いスタッフ。こういう台風の日とかで、何もする事ない時を使ってちゃんと後輩スタッフを育てて時給泥棒にならない様に《自分で考えて行動できるスタッフ》龍二さん。早上がりしたい。私はね?怒られない程度に…時給貰えて賄い食べられたらそれでいいの…。
色々覚えたら今後、「サキちゃん肉味噌やれるよね?」ってやらなくてはならなくなる。早上がりしたい時にしにくくなる。
サッサと仕込みとか掃除やってさ〜早く帰れる様にしちゃお…とかいうヤツも嫌い。
それはテキパキして早くタイムカードを切るだけ。なんならむしろ、タイムカードを早く切る訳だから、仕事が出来れば出来るだけ、まさかの支給額が減る謎ルール。もうやだ、この世から早上がりしたい。
「肉味噌やる前にそうだ。俺さ期間限定の濃厚海老混ぜそばの練習しちゃおうかな、早いけどサキちゃん作ったら賄いとして食べる?」
「あ、ありがとうございます」と龍二さんに答えてしまった。
賄いを食べてしまっても早上がりは出来るだろうか…それは流石に気まずいか…などと考えている間に龍二さんは濃厚海老混ぜそばを作ってくれた。
初めてとは思えないぐらい良い感じに盛り付けられていた。濃厚な海老の旨み…店長より絶対盛り付けうまいんじゃないかなんて思っていると…
「バタンっ!!」と店前の看板が倒れる音がした。
「やっべマジか!看板下げとくわ!」と龍二さんが店前に飛び出て行った。普段の私なら私が行きますってなもんで走っていくのだけれど、今日の私は微動だにしない。
全然手伝いに行かない。
私、全然手伝いに行かないわ。
なぜならば早上がりしたい人間だからね。
早上がりしたい人間は怒られたくもないけれど、褒められたくもない、何故なら存在をバレたくないから貝の様に静かにしていたいのが骨まで染みているから。
そして体調悪い大丈夫?とか何とかして言われるのを待つぐらいだから、看板なんて、立てに行かないの。
あぁ。
早上がりしたい。
はやあがりしたい。
HAYAAGARI SITAI….
【2】
看板は倒れただけで壊れたりはしていなかった。
よかった。
よかったけれど…。
早上がりしたい。
帰りたい。
誰もお客さんけぇへん。
俺、林龍二は猛烈に早上がりがしたい、予定は特にない。
このつけ麺屋で働いて、なんだかんだ五年になる。
飲食店というのは働き方として、あんまり良くないけれど、長時間労働だったり休みらしい休みなく働くのが当たり前。
そんなのにも慣れている。
慣れているのになんか今日は早上がりしたい。
たまにある発作的なやつ、早上がり症候群。
何一つ帰ってしなきゃいけない事も、待ち合わせも、観たい動画とか読みたい本がある訳でもない。ただただ、なんか早上がりがしたい。
前掛けを外し、キャップを外し、スマホを弄りたい。
今日はシフト上は俺と店長とサキちゃんの三人だ。台風だからと普段より二人少ない。その判断は正しかった。客なんて来たくても来れないだろうから、とりあえず開けておいて仕込みだけする日。店長は台風の影響で遅れている。さっきLINEがあった。
俺はサキちゃんが気になっている。ずっと…ゆっくり話してみたかった。
中々、他のスタッフがいると話せる感じにならなかったから。今はチャンスだ。チャンスなのに…早上がりしたい。サキちゃんを置いて、もはや着替えもせず、看板を見に行ったはずがうっかり帰ってしまって、後々タイムカードを早上がりしたことに修正したい。
いやいや…駄目だ…肉味噌だけはやっておかないと明日明後日の、営業が詰む…早上がりしたい…サキちゃんと話しながら肉味噌の作り方教えれるチャンスなのに早上がりしたい…。
肉味噌を教えたい気持ちと教えたくない気持ちと、早上がりしたい気持ちと早上がりしたくない気持ちの狭間に俺はいる。
それに耐えられない。
寝てしまいたい。
早上がりしたい。
はやあがりしたい。
HAYAAGARI SITAI…ZE.
【3】
今回の台風は思っていた以上に規模が大きく、被害も大きい様だ。
家の前の道には、あまりにも大きな水溜まりがもう出来てしまっている。
雇われ店長は辛い。こんな日でも開けろというオーナーに言われたら店を開けなければいけない。
龍二君とサキちゃんで店を開けてくれているようだが早上がりしたい。
到着してもいないのに早上がりしたい。
というか、到着も何も車にも乗っていない。
車に乗るも何も布団からも出ていない。
布団も何も行く気もない。
シンプルにこんな日に店なんて行きたくない。
こんな日にわざわざ、つけ麺を食べに来る客が好きじゃない。
でも店に行かなかったとなるとオーナーに後で何を言われるかわからない。
だから「店には台風の中、ちゃんと来たものの、店や近隣の状況、スタッフの安全を考慮して早上がりさせた賢明な店長」の扱いを受けたい。そんな自分では在りたい。
《欠勤》ではなく、来たけれどやむ無く…仕方なく…惜しくも…泣く泣く…早上がりしたい。
龍二君に言って私のタイムカードだけ押させて、引き返したい。
私、野竹幸太郎は早上がりが猛烈にしたい、予定は何もない。
「車が水溜りで進めなくて遅れる」と龍二君にLINEした。
早上がりしたい。
はやあがりしたい。
HAYAAGARI SITAI…YO.
【4】
最悪だ。
最悪すぎる。
僕はズルをして、早上がりをした。
仕事中、どうしてもつけ麺が食べたくなったのだ。
ガソリンスタンドのアルバイト。こんな台風だから誰も来ない。
やってられるかとアルバイト仲間三人を集めて、ジャンケンに勝ったものが早上がりしようと持ちかけた。
早上がりバトルロワイヤルと称してジャンケンをして僕は勝った。言い出しっぺで勝って、権利を行使して早上がりして…自転車でずぶ濡れになってまで来たつけ麺屋は閉まっていた。
臨時休業のフダ。
そりゃそうか。
そりゃそうだけれど。
少し晴れ間が射してきた。
なんだか働きたくなって来た。
来月の暮らしが不安になって来た。
自転車に跨がる。
ギッコ。ギコギコ。
帰って、シャワーをしてからウーバーイーツ何件かだけでもするか…。
まぁ…でも…家に着いたら…またやりたくなくなるんだろうなぁ…もういっか…なんか別のつけ麺をウーバーイーツで頼んで食べて寝よう。