短編小説【人造の街】
【1】
〔日記〕
○■月▲▼日
死ねず。
○■月▲☆日
死ねず。
○■月■○日
死ねず。
○◎月◯□日
死ねず。
○◎月◯▲日
死ねず。
○◎月◯■日
死ねず。
○◎月◯◎日
天国への扉が開いていた。
「そこで何をしているの?」とフェンスの向こう側の彼は言った。
その声に驚いて思わずフェンスを掴んだ。無意識とはいえ、当然の様にフェンスを掴んでしまった自分をまた嫌いになった。
「放っておいて下さい。」と言ったつもりだけれど、声が余り出ていなかったのか、彼は反応しなかった。
四月四日。夜風はまだ冷たく、上着を一枚羽織ってくれば良かったなぁと思った。今から死のうと言う人間でも寒いのは嫌だと思うのだから馬鹿馬鹿しい。
「あ、仁見仁(ひとみじん)って言います。このマンションには先月、引っ越してきて。」
「…何度か。見掛けています。」
「それはどうも。貴方もこのマンションの住人?」
「僕は住んで…いません。」
「ええ?あぁ。そう。えっと。飛び降り自殺とか痛いから、止めておいたほうがいいよ。」
彼は見たことがない缶ビールを片手で開けて一口飲んだ。
「ビール好き?飲む?」
飲み掛けの缶を僕の方にクイッとやった。
「お酒を飲んで飛び降りたら、警察の方に酔っぱらって、事故で落ちたと思われるかもしれないので要りません。」
「理屈っぽいなぁ。要りませんだけで良いでしょう。あー。不味いなぁこのビール。」
「あの。とめないで下さい。死なせてください。」
「自殺って何なんですかね。死ぬってこと自体が誰も良く解っていない事じゃないですか。なのに死にたいって思うわけでしょ。」
「何を言っているのか、解りません。」
彼は左手に持ったビールをまた一口飲んだ。
無言で僕を見る彼がとても端整な顔立ちをしていることに気が付いた。
「すみません。」
沈黙が恐かったから、何に対してか自分でも解らないけれど、謝ってしまった。
少し彼はニヤリとした。
「いくつです?」
「…29歳です。」
「わ!同い年!なんで死にたいんです?モテないの?借金ですか?」
「馬鹿にしないでください!!」
今度は思っているより大きな声が出てしまった。
「ははぁ。今から死ぬやつでも馬鹿にされるのは嫌なもんなんだね。」
何も言えなかった。
彼は。ビールをグッと飲み干した。僕はアルコールを飲めないけれど、美味そうに飲むなと思った。
彼は口を拭い、大きく息を吸った。
「なぁ。こういうのはどうだろう。僕と君の人生を交換してみないか?」
何を。言っているんだろう。
「入れ替わるんだよ。僕が君に。君が僕に。生まれ変わるんだよ丸ごと。そうだなぁ、なんだろう、【交換自殺】をしてみないか?」
風で少し聞こえづらかったけれど。確かに彼はそう言った。
【2】
〔日記〕
○◎月◯◇日
もう少し、生きる事になった。
「ここって、再開発で人工的に造られた街でしょ。」とヤカンでお湯を沸かしながら仁見仁は言った。
仁見さんの部屋は殺風景で何もない。買ったばかりだという冷蔵庫と机と本棚とベッドしかない部屋。
ミニマリストなんて、ダサいやつじゃなくて、引っ越してきたばかりで何もまだないんだよと僕にホットココアを渡しながら彼は笑って言った。
「何て言うんだろうな。新しいベッドタウンだなんて言えば響きは良いが、この街には歴史もなければ文化もない。故に体温がない。」
また彼は見たことがないビールをプシュっと開けながら言う。彼の言い回しがいちいち気になる。
「誰も【この場所】や【ここで生きている人】に興味なんてないんだよ。外から観光客が来ることもない。ただ、ここで食べて、寝て、都心に働きにいくためだけの場所だ。だから、俺はここに住む事にしたんだ。」
彼が入れてくれたココアは甘くなくて美味しかった。
「ちょっと、わからないです。」
「自分を誰も知らない場所で0から生きられたらなと思った事がないかい。あれもある種の自殺願望だと思うんだよ。」
「そうなんですね。あの。交換自殺。その具体的に入れ替わるっていうのは。」
「そのまんまだよ。互いの仕事やプライベートや財産、その全てを出来うる限り入れ替えるんだ。互いの過去と過去を入れ替える。自分とはつまり、その者の過去のコトだ。そうすれば君は僕に。僕は君になれる。」
「そんなことが現実的に出来るんでしょうか。」
出来る訳がない。そう思った。
「アハ体験だっけ。昔、流行ったでしょ。あんな感じでさ、少しずつ少しずつ街の人が入れ替わっていっていたらとしても、気がつけないと思うんだよ。」
「それは。」
「LINEやSNSだって、同じアカウントで同じ様な文体で、同じ様な時間帯に送ってしまえばその人物の発言に見えてしまう。【その人】が【その人】であり続けている証明を随時するのはとても難しいことだと思わないかい。」
「あ、IPアドレスとかで…。」
「そんなものは僕達が物理的にスマホを交換すれば済むだろう。」
「電話がかかってきたら…。」
「電話が苦手だから出れない人なんてごまんと居る。」
「そんな、簡単に。保険証とかはどうなるんですか。免許証なんて、顔写真が必要になる。」
「おいおい、さっきまで死のうとしていた癖に保険証が気になるのかい。そんなの病院にはいかずに、車は運転しないでタクシーや電車を利用すればいい。いいかい、【交換自殺】をするんだから、多少は不便にもなるさ。」
「あぁ。」
何で彼はこんなことを思い付いたのだろう。まるで、今日のために用意していたかのようだ。
「僕の仕事はね、小説を書くことだ。」
「小説…ですか。」
「ほら。」
彼が本棚を呼び指す。そこにはタイトルと【仁見仁】と書かれた本が沢山あった。
「そうでしたか。存じ上げず。本は読むんですけれど。」
「はは。構わない。本は読むのですね。」
「仕事中に手持ち無沙汰な時などに本を読む事があって。」
「そうなんだ。君の仕事は?」
言いたくないと思った。彼の様な才気に溢れた仕事など一度もしたことがない。しかし、遅かれ早かれいつかバレるだろうから彼に、僕の仕事について話した。彼は大きく笑い、そうだったのか。いや申し訳ないと頭を下げた。
「いやぁ。失礼。笑っちゃうな。何が誰も【この場所】や【ここで生きている人】に興味ないだよ。僕も貴方を知らず知らずにスルーしていた。」
「いえ、目立つ仕事ではないので。」
「この計画においては、君の仕事は活きるかもしれないね。」
「そうですかね。」
「適任かもしれない。極論、君はこのマンションの誰にでもなれる。」
「仁見さんは交換していいんですか。その。人生。」
「君が死なずに済むんだから。良いんじゃないかと思うよ。」
僕らは人生を丸ごと入れ替わることにした。
【3】
〔日記〕
○▲月◯▲日
アイデアを羅列しただけ。
□○月□○日
感情の流れがわかりにくい。
□▲月□▲日
短文だが綺麗だなと感じた。
新しい生活が始まった。
僕らは毎週日曜日の深夜に屋上に集まることにした。メールやLINEでは駄目かと聞くとオフラインが一番安全な情報交換なのだと彼は言った。痕跡を残しては完全に入れ替われないとも言った。
必ず、扉の鍵を締めた。
話し合って仁見さんの部屋で集まるのも危険だから止めよう言うことになった。部屋に入る所を他の住人に見られたり、物音で隣人に気付かれるリスクを失くすためだ。
「万が一、小説に出てくる様な探偵が現れた時に奴等は些細なことからでも答えまで辿り着くものだからね」と言う彼はどんなミステリに出てくる犯人よりも悪い顔をしていた。
それから毎週、入れ替わるために様々な話をした。
互いの生きてきた道筋や思考、考え方を知るために沢山の話をした。過去の交換とは経験の追体験だと彼は言った。どうやれば入れ替わる事が出来るかの方法論を話した。
ある時、「何故、君は死にたいんだい?」と聞かれた。
「なにもやりたいことがないから。」と答えた。
お返しに「何で自分を誰も知らない街でひっそりと暮らしたいと仁見さんは思ったのか?」を聞いた。
「自分を誰も知らない街で書きたくなった。」と笑って仁見さんは言った。
二ヶ月程が経ったら、六月。
雨の屋上で彼に「君も僕になるために小説を書かなくちゃね。」と言われた時は、ゾッとした。
そんなの書けるわけがないという僕に、当面はアイデアを一緒に出せば良い。自分も考える。ゴーストライターになったと思えばいいんじゃないかと言った。
確かに彼と人生を入れ替わると言う事は小説を書くと言う事だ。小説を書くことで生まれ変われると言う事なのだ。
彼になるには彼みたいな小説を書ける様にならなくてはならない。
無我夢中で書いた。
彼の作品を何度も何度も読んだ。
毎週日曜日の深夜、屋上に小説を持っていく日々が続いた。彼になれば生きながら死ねるのだ。
「これはアイデアの羅列でしかないね。」
「これはモチーフになった作品が判りすぎる。モチーフがあるのは構わないが昇華してきてくれ。」
「数行しか書けていない?何を言っているんだ、この数行は今までで一番いいじゃないか。」
「このアイデアは僕が考えそうなアイデアだね。」
毎週、毎週ダメ出しをされたし、何でこんなことをしているのかわけがわからなくもなったけれど。。とても大変だけれど、彼が僕に入ってくる様でなんだか心地好かった。
君が僕になれたら、きっと僕も君になれるよと仁見さんは言った。
気がつけば、また4月が来ていた。
今回も何とか一本、書き上げる事が出来た。 一年も経てば少しは上達するものだなと我ながら感心した。
書き上げた小説はいつも通りプリントアウトする。印字の匂いは仕事の報酬のようで嬉しくさせてくれる。
「こうやって、輪ゴムがひとつあれば、簡易な本は作れるんだよ。」と教わったやり方で【本】にした。
屋上に上がった。
去年の今頃、僕はフェンスの向こう側にいたのに、今は必死で小説を書いているのだから訳がわからない。
少し一人で笑った。
【4】
〔日記〕
○■月▲◆日
刷り変わっていく。
現実との狭間に描いた夢幻。
過ぎ去ったモノも、未だ来ていないモノも観ずに今を読みたいと思った。
いくら待っても彼が来なかった。
おかしい。
彼は一度も遅れてきた事がない。
何時間待っても、彼は来なかった。
悩んだけれど、一度一階に降りてから、彼の部屋に行くことにした。誰にも見られないように慎重に彼の部屋の前に来た。
鍵がかかっていたので、仕方ない持ってきた鍵を使い、部屋に入った。
彼が。
仁見仁が。
部屋の真ん中に。
倒れていた。
足元に缶ビールが何本か転がっていた。手元にもひとつ。
「お、おい。仁見さん。ちょっと!おい!仁見さん!仁見さん!!」
いくら彼を揺すっても起きそうにない。
死んでいる。
彼は酔って、缶ビールを踏み、転倒して頭を打ち、死んだのだ。
こんなの推理も何もいらない。名探偵がいなくてもだれにでもわかるほど単純でくだらない死に方。
「あはは。ははははは。」
忘れていた。
自殺をしなければ死ななくなるわけじゃない。
自殺を辞めて偉いねと神様が必ず寿命まで生かしてくれる保証があるわけじゃないんだ。
僕らは忘れていたんだ。不意に人は死ぬ。呆気なく。誰でもある日、くだらない死に方をする可能性がある。
そんな当たり前を見せつけられた。
一時間ぐらいだろうか。二時間かもしれない。茫然と、彼を視ていた。彼の端整な顔がいつもより白かった。
「ああ。ははは。そっか。わかった。わかったよ、仁見さん。」
悪魔的閃きだった。
進めてきた【交換自殺】は【一人の人間の事故死】を隠蔽する機能になると気が付いた。
『僕が彼になれば、彼は死なないじゃあないか。』
『彼が僕になる必要はない。僕は僕のまま去年迄のように生き続ければいいんだ。あはは。二人分、僕が生きれば彼はこの部屋で生き続ける。』
『僕が僕の全てをしながら、彼の変わりに小説を書いて送ればいいんだ。家賃やお金は彼の口座から当面は引き落とされるだろう。そんなものはなんとでもなるさ。ははははは。』
僕なら。彼を死なせずに【この部屋で生き続けさせる事が出来る】はずだ。沢山話したのだ、人と人が入れ替わる方法なんて。
【彼を死なせはしない】と思った。バレるわけがない。
彼の遺体だけ、どうにか処理をしなければ。彼が死んだことになる。
臭いで誰かに気がつかれるかもしれない。彼を生かし続けるには遺体は邪魔だ。なんとか数日以内に処理しよう。とりあえず腐敗を少しでも遅らせるためにエアコンを最低温度の16℃にして毛布をかけた。
思考が巡る。頭が回る。彼と沢山話した犯人達や探偵達と同化していく様だった。
取り敢えず彼のスマホやパソコンを回収しようと思った。【彼は生きている】のだからLINEやメールは返すために。大丈夫。彼の思考も言葉遣いも僕は出来る。
スマホもパソコンも机にあった。机には一冊のノートも置いていた。もしかしたら、小説のアイデア帳だろうか。で、あれば、彼を一日でもこの部屋で生かすために知っておきたい…とノートに手をとって開いた。
それは。
日記だった。
彼の日記だった。
パラパラとめくった。
涙が溢れてきた。
嗚呼。
駄目だ。
無理だ。
彼は死んだんだ。呆気なく。
カッコ良くもドラマチックでもなかっただけで。
彼自身、予想もしない理由で。
彼は彼として死んだのだ。
何が悪魔的な閃きだ。
彼を彼として死なせてやらなければと思った。
極々当たり前の感情が悪魔的な閃きを払ってくれた。
エアコンの電源を切った。
鍵を閉めて。
ふらふらと。僕は一階に降りた。
受話器をあげて、110とダイヤルを回した。
「警察ですか。人が死んでいます。来てください。私は…このマンションの管理人をしている者です。住人の様子がおかしいなと思って。はい。」
管理人室の電話の受話器を置いた。
【5】
〔最後のページに書かれた日記〕
○◎月◯▲日
「時々、思い出す。去年の4月。まだ寒かったあの日を。
普段は開いていない、屋上の扉が開いていた。
ここに引っ越してきた日から毎日毎日、真夜中、気が付いたら屋上の扉の前まで来ていた。
扉が開いていたら、飛ぼうって。書く事に怯えて、こんな所まで逃げてきたけれど、終わりにしようって。
毎日開かない扉にホッとする自分が心の中にいた。まだ生きていていいんだって。嬉しさと情けなさを抱えながら扉の前でビールを飲むのが日課に為りつつあった。
でも、あの日は扉が開いた。
嗚呼、今日なんだって思った。
そしたら、フェンスの向こうに君がいた。
同じように死のうとしている君を偉そうに止めている自分に驚いた。
知らぬ間にいつか書いて盗作を疑われた小説のアイデア【交換自殺】を僕は君に話した。
人生そのものを入れ替わるだなんて出来るわけがないのに、君は僕が話す出鱈目な入れ替わるための方法を真剣に聞いてくれた。
いっしょに助かりたかったのかもしれない。
半ば冗談のような気持ちで「僕になるなら、君は小説を書かなくてはならないよ」と言った。
1週間後の屋上に来た君が下手くそな小説を書き上げて持ってきた時には驚いた。真面目で不器用で、カッコいいなと感じたよ。どんな作品であれ、書き出すことも書き上げる事もとても難しいことだ。君を尊敬する。
ならばと君に僕の知りうる全てを教えようと思った。僕の感覚も。文体も技術も知識も。それがどんな未来を引っ張ってくるのかが知りたくなった。
僕になろうする君の小説を毎週、屋上で読むことが生き甲斐になっていた。
きっと君はもう生きていける。僕も、もう一度書こうと思う。」
『○◎月◯■日 未明、S市ニュータウンのマンションの一室で【交換自殺】で有名なミステリー作家、仁見仁さんが亡くなっているのが管理人の通報によって、発覚しました。管理人が発見した時には仁見仁さんは既になくなっており、警察は死因が転倒による頭部外傷であることから、事故死として捜査を続けています。なお、S市ニュータウンには多くのファンが仁見仁さんを惜しんで訪れている様です。』
とTVのワイドショーでは彼の死を盛大に扱っているのを僕は管理人室で観ていた。
手元には彼の日記帳がある。
そこには彼がこのニュータウンに来る前、盗作を疑われ酷く悩んでいた事、僕と出会う前に屋上前の扉でビールをいつも飲んでいたこと。そして、僕との【交換自殺】のことが書かれていた。
ワイドショーのアナウンサーは続ける。
『なお、仁見仁さんの部屋からは何十話かの短編小説の原稿が発見されており、仁見仁さんの遺作短編集として発売が決まったようです。』
僕はTVを消した。
僕は管理人室の机に原稿用紙を一枚置いた。
世の中に向けて小説を書いてみようと思う。
日曜日の深夜までに書くぞ。そして屋上で天国の彼に向けて、読んで聞いてもらおう。