大人が死んだ日
中学生くらいまででしょうか。
大人とはとても万能で凄い人たちなんだと思っていました。
僕は身体の成長が少し遅く、中学に入学した時点での身長が140cmもなかった、、。
そんな小人にとって大人とは文字通り大きい人といった感じで、
嫌なことがあるからといって泣きじゃくることもなく、
いつも余裕で僕たちに話しかけてくる。
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「大人ってすごいな!」
と思っていました。
しかし、高校に入学した頃、その考えに陰りが生まれる。
年齢は10代の後半に差し掛かり
法律の上での成人、つまり大人は
残すところ5年もないという段階。
「あれ、大丈夫かな?」
と思った。
自分で言うのも歪ですが、自分自身まだまだ子どもだなと感じていたからです。
このままあとたった数年で、
あれほどすごいと思っていた大人に
本当になれるのだろうか。
2年上の先輩たちを見ても
見えた範囲では
「僕たちと大差ないな」
と思った。
もしかすると、本当にもしかすると
こんなことを思ったまま大人になっていくのかもしれないと疑ってしまいました。
そして18歳になり、その疑いは間違っていないことを知らされる。
確かに、数年分の経験値は積んだ。
前より物事を多角的に見ることができたし、
深く捉えることもできた。
けれども、まだ大人な気がしない。
そして何より
**僕の中での大人が死んだ日。
その日はやってきたから。。。**
当時僕は、
ダンスをよりスポーツ科学的な側面から見ることができるようになるために選んだ進路であるスポーツトレーナーの専門学校に通っていました。
しかし、ダンスのための病むを得ない理由により専門学校を去ることにしました。
その際、学年主任の先生に辞める旨を伝えたましたが、もう一度考え直すよう言われ、
僕は言われた通り、もう一度考え直してみました。
だけど何度頭を働かせて、どのように考えても僕の人生においてここで辞める決断は、最善。
そして、その決断は両親も賛同してくれるものでした。
僕は改めて学年主任にその旨を伝えるために、わざわざA4用紙に僕が辞めなくてはいけない判断にいたった経緯をまとめて持っていく。
辞めるとはマイナスな要素を含んでいる反面、本当に辞めることが最善の場合においては旅立ちの一歩となることもあると信じ、待ち合わせの時間、教室のドアを開けました。
学年主任が僕の渡したA4の用紙を怪訝そうに眺めている時、僕は語気を強めて自分の思いを一つ一つ説明する。
「ダメだ。認めない。」
学年主任は言った。
「何故ですか?僕が決めたことです。」
「いいか、俺はお前より10年長く生きている28だ。その俺が言っているんだ。」
衝撃が走りましたが聞き返してやります。
「年齢が関係ありますか?何故ダメなのか教えてください。」
「ダメなものはダメなんだ。」
「・・・。」
この日その瞬間。僕の中での大人の概念が消え去りました。
そして思いました。
大人なんていうのは言葉でしかない。と。
結局年齢など関係なく、
素晴らしい方は素晴らしい。
長く生きてることをただ一つの理由に
言いくるめようとする人を見た時、
僕の中の
「大人ってすごいな!」
は完全に死んだのです。
この件についてはその後、無理やり辞めることで解決しましたが、
僕の人生において
他人のことを年齢や生まれた場所、性別や肌の色など外側の情報だけで判断することはできず、
中身が重要なんだと
教えてくれた出来事になりました。
少し暗い内容に見えますが、実は明るいです!!!
人の振り見て我が振り直せ!!
読んでいただき、ありがとうございました。
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