救済すること
鎮魂帰神法の鎮魂の部分に取り組むことは、ジオセントリックチャートをやり切ることで、肉体を持った自分を浄化することになりますが、この鎮魂に取り組んでいるとき、死者を含めた他者を救いたくなるのは、自分自身を救おうとしている最中だからです。この道半ばの状態で、誰かのためになるための知識や技術を学ぼうとすることはよくあることで、だけど道半ばなので自分のものにできず、「これじゃないかも」となり、また他の方法を探し出すこともよくあることです。
誰かのためになるための知識や技術を学ぶことと、自分自身を救済することは、実は同じことで(そうあるべきで)、自分自身を救済できたなら、その道を知っているということなので、いくらでも応用可能な、提供できるものになります。自分自身を救済していく途上に、明らかに「これだ」という、自分にしかできないもの、どうしてもやりたいことが出てくるものです。
自分自身が救済できると、他者を救いたいと思わない場合も大いにあり得ます。その代わりに、本当の目的、本当にやりたいことを思い出します。