見出し画像

竹を割ったような性格

母は父方の祖母のことを「竹を割ったような性格だ」と何かしらにつけ言っていた。そして、私を見ては「あんたはおばあちゃんにそっくりね」とよく言っていた。

竹を割ったような性格ってどんな人だよと、子供心に首をかしげていたけれど、なんとなくまっすぐなイメージではある。でも、中は空洞なイメージもあり、喜ぶべきか反論すべきか分からず、これを言わたときはとりあえず沈黙することにしていた。

というのも、母はたいへんな皮肉屋で、彼女のことばには多かれ少なかれ「うら」がある。親子でなければ、その事実に気付くことはなかっただろう。でも、彼女は私の母親で、母は私以外のひとに自分の本心を打ち明けることを滅多にしなかった。

母は慎重な人だ。「自分」を見せる相手をちゃんと選んでいた。おかげで、彼女が親しみを込めた笑顔で人と接する姿と、鬼の形相で過去の出来事を毒づく様子、私はその両方を見て育った。

今にして思うと、相手の言葉の真意を探る訓練を、それと自覚することなく、私は幼少期から母によって受けていたわけだ。それじゃあ、相手の言葉の「うら」を無意識に考えるくせが付いても仕方がない。

でも、「竹を割ったような性格」というフレーズは気に入って、自分の性格を表現するときには積極的に使うようになった。そうであり続けたいとも思った。それは、ねじれた性格の母への精一杯の抵抗だったのかもしれない。

私は母が好きだ。人として未熟で、親としても未熟。愚痴っぽいかと思えば、すぐにパニクる。よく泣き、よく笑う。嘘が下手で、隠し事ができない。夢想家で、小心者。彼女を表現することばはいくらでも浮かんでくる。それはきっと、私が母を大好きな証なのだろう。

私は気持ちのねじり方が分からない。母は怖がりでまっすぐな気持ちをなかなか出せない。タイプは違っても、お互いに不器用な点は同じ。ああ、ようやく母との共通点が見えた。

いいなと思ったら応援しよう!