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「かあちゃん」のオープニングに猫好き根性が引き寄せられる

自宅で録画しておいた映画を観るときは、映画館で作品を観るときと違って、時間の強制力がありません。
だから、見始めるまでは「今日はこの作品を観よう」と思っていても、最初の1分がやけに長く感じたら、観るのを止めることもよくあります。

「かあちゃん」のオープニングでは、画面いっぱいに上の画像のような穴だらけの障子が映っていました。上の画像は我が家の障子です、犯人は鎮座している猫。

おそらく作品と猫は関係ないと分かっていても、きっと多くの猫好きさんはあのオープニングにやられるでしょう。それくらい、「穴だらけの障子」が映っているだけのシーンが長くて、親しみを感じるんです。


私は市川崑監督の金田一耕助シリーズの大ファンで、映画の影響で小学生のころから横溝文学を読み始めました。

少年探偵団が活躍する江戸川乱歩の明智小五郎シリーズとちがって、横溝正史の金田一耕助シリーズは、ややもすれば大人向けのエログロ小説です。特に初期の横溝文学は完全に官能小説で、映画の世界とはだいぶ様子がちがい、最初はとまどいました。


けれど次第に、あの男性的な横溝文学を、女性的なオーラに包まれた、美しくも哀しい作品に仕上げている市川監督に興味をもつようになったんです。

とはいえ、金田一耕助や明智小五郎が好きなことからもわかるように、私は大のミステリーファン。どんなジャンルの映画も観ますが、優先順位はミステリーがダントツで上です。

「かあちゃん」は心あたたまるヒューマンドラマ。これまで、気持ちと時間にゆとりのあるときに「かあちゃん」と遭遇しなかったので、長いこと観ていませんでした。


あるとき、「プレミアムシネマへようこそ」を見ていたら「かあちゃん」が取り上げられていたので、とりあえず録画を予約。実際に観たのは録画して何ヶ月も経ってからですが、もしあのオープニングが違っていたら、あるいは観るのを中断したかもしれません。

市川監督は「吾輩は猫である」も映画化していることだし、きっと猫好きだったのだろうと勝手に親しみを感じたオープニング。そして、最初の1分を過ぎた後は、もはや画面の前から去ることを許してはくれないのが、市川作品です。

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