歌から言語がうまれた

言語は歌から産まれた、フォローしている熊本の歌手がポストの冒頭に書いてた。
それで思い出したことがそこそこあったのでまとめておこうとおもう。

歌から言語がうまれたとはとてもロマンチックに聞こえるだろうが、これは結構科学的(自然人類学的?)根拠もある話みたいだ。
俺が最初にこの説を聞いたのは坂口恭平からだった。
たしかYoutubeでゴリラの研究者でもある京大総長の山極教授だったかとのイベントのときも話していたので皆もみれるとおもう。
YouTubeでは、樹上で猿が鳥と遭遇していたはずで鳥達の歌に憧れて歌い出したのではないかと言っていてロマンチックだなぁと感じた覚えがある。

そもそも歌とは何か。
調べてみると一つ目に、
拍子と節をつけて歌う言葉の総称。また、それを歌うこと。(デジタル大辞泉)
とある。
例えば、鳥は地鳴きという歌じゃない鳴き声をもっていて、歌であるさえずりには本言のような地方差があるが地鳴きはほぼ同じだという。マッコウクジラも歌い方で出身地を特定できるようだ。
つまり、特有の拍子(リズム)と節(音の上げ下げ)を後天的に学んで、メッセージを共有する。そのことが歌であり、それを介したコミュニケーションも歌とよぶ。
俺たちが使う日本語の方言にもリズムと節まわしがあって、歳をめされた熊本弁ネイティブの方と熊本弁で交流するとやけに仲良くなることがある。これも歌から言語がうまれたことを体験できる例なのではないかとおもう。

他の動物の脳と比べて人間の脳は特別だとみんな考えてるかもしれない。だけど脊椎動物みんなの脳の基本構造は一緒だ。他の動物ももつ部分が発達して人間の脳になっている。
人間の理性のような自分の把握できる部分は、進化のあとのほうに生まれてきた部分だろうから、動物的な昔の脳のほうが自分達を左右しやすいのは想像しやすいのではないかとおもう。
例えば、何かの匂いを嗅いだ時に昔それを嗅いだ時の記憶が臨場感たっぷりでフラッシュバックしてくることはないだろうか。これは嗅覚をつかさどる脳が古いとこにあるせいだ。
樹上では果物の鮮やかな色を見分けるために視覚の世界に移ったが、その前の俺ら哺乳類の祖先は木や草の陰に隠れ薄暗いところをコソコソと嗅ぎ回る生活をしていたからだとおもう。

これは言語にも言えることだった。
メラビアンの法則というものがある。アメリカの心理学の教授が71年に発表したものらしい。人間が他人とコミュニケーションをとるとき、言語、視覚、聴覚3つの情報から相手を判断しているのだそう。おもしろいのはその割合をかなり細かくこの人が指摘しているところだ。情報が相手に与える影響は、
言語 7%
聴覚 38%
視覚 55%
なのだそう。まぁ細かすぎるので俺はざっくりと言葉1割、話し方4割、表情5割くらいで覚えてる。
話す方も本能的な部分でてしまうんだけど、子どもとよく接する人は特に覚えててほしい。
子どもは大人より本能的なピュアなところが多いから顕著にこれをキャッチする。なので怒る時は怒る顔で言わないと混乱するし褒める時は思いっきり自分も笑っててほしいと思います子ども育ててもないくせに余計なお世話でした。すいません。
人間の眼球はアイコンタクトをし易くする為に白い部分をつくったというくらい、顔色を読むものだ、目は口ほどに物を言うんじゃなくて口以上にものを言うのだとこの説がおしえてくれている。

耳からの情報は危険察知など異変を知るためやメッセージの共有(歌)など生きるために重要だったので寝るときに目は瞑れても耳は起きている。
なので耳からの情報は本能に響き生理的に好きや嫌いという感情を左右する。
ポストから知った山﨑広子さんのコラムには俺にはドストライクな話があった。最近クラブハウスとか音声のコンテンツが増えてきたし、音楽も聴き放題だったりする。ラジオや声優に興味がでていたし、とてもタイムリーだった。
なので思い出したこととかを書いておくことにした。知ってる人からするとつまらんことばかりつらつらと失礼しました。

ちなみに知ってはいても、自分も本能でしゃべってるから気にしながら過ごすのとてもむずい(汗)どんだけわかってても理性で表情と声色コントロールできん。できたら自分が相手に与える印象をコントロールできるんだろう。こういうのができるのが役者さんとか歌手とかなんだろうな。制御できないからそこに人間がでるんだとおもいます。

※写真は水俣の初恋ラップ選手権で、mouthpeaceさんにボロ負けする前の俺(1枚目右上)と後の俺。
参加してたDJばさしこと、やまぐちそうくんがくれた写真。歌は難しい!!!

#歌
#言語
#コミュニケーション
#坂口恭平

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