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爽快感のない読後をもたらしたものの正体——にほんご書店そうがく社・鈴木隆さん

春秋社アジア文芸ライブラリー『高雄港の娘』刊行にあたり、さまざまな方から推薦の言葉をいただきました。今回は神田神保町で「にほんご書店そうがく社」を営んでいる鈴木隆さんに頂戴した文章をご紹介いたします。

港は海に隔てられた陸と陸を結ぶ道の交点で、
町は、人々が往来する港を起点に栄える。
Googleマップを眺めてみると、
高雄は台湾の南端に位置する港町であることがわかる。
南西に舵をきれば香港・マカオを経てベトナムへ、
真南に向けばフィリピンへてボルネオへとつながる。

今から100年も前の、
日本が台湾を殖民地として統治していた時代に、
南下政策の要拠点として位置づけられた、
高雄の町を舞台にした小説である。

時が流れても高雄は港町であり続けるが、
港町に往来する人々の息遣いは、時の流れとともに変わる。
高雄の港町に生まれた「娘」は、
日本語、台湾語、中国語のことばの移ろいの中で
育ち、「妻」になり「母」になる。

小説に描かれた「港の娘」に、読者である私は共通点を見いだせない。
ことごとくが私と違う。
昭和に生まれ、海のない山間の町の貧しい家に育ち、
志願兵であった父親から男として生きることを教育された
私にとって、
経済的に恵まれ、教養のある両親のもとで、
自由に生きようとした「港の娘」の姿は、
羨ましくもあり、哀れでもあった。
ところが、「娘」は、その成長とともに、
私の心の探られたくない深部を揺さぶり回した。
得体のしれない何かが私を揺さぶった。
それは何であったのか。
爽快感のなかった読後に、あらためてその正体を考えてみた。

日本の殖民統治下にあった台湾でも、
「良妻賢母」の価値観が教育制度に組み込まれていた。
「高雄港の娘」は、日本統治の終焉から中華民国の成立へ向かう
激動する社会の流れのなかで、教育された「良妻賢母」の価値観を
持つ「娘」として育った。
そして「妻」へ、「母」へ成長してゆく過程の中で、
教育された「良妻賢母」の枠組みを打ち壊したのではなかろうか。

しかし小説中で描かれた女性の姿は、「良妻」であり「賢母」であった。
もしかすると、読み手である私が、
「妻」へと「母」へと成長していく「港の娘」を、
「良妻賢母」の枠組みという既存の規範的な価値観でしか、
見ることが出来なかったからではなかろうかという考えに、
思い至った。
そして、家父長的家族のイデオロギーと表裏一体をなす、
堅固な「良妻賢母」の価値観は、
「高雄港の娘」を「良妻」として「賢母」として縛り続けた
のではなく、
台湾独立運動に奔走する自由気ままに見える「夫」を、
むしろ縛り続けたのではなかろうか。
その「夫」に読み手である私を重ねたときに、
落ち着かない、なにか後味の悪い読後感の正体のようなものが見えた
気がする。

「高雄港の娘」であった「妻」が、
台湾独立をめざす「夫」の活動を経済的に支援したことは、
「良妻」の価値観の現れではなく
夫と同じく社会変革を志向しながらも、
「夫」とはことなる方法で実践的な活動に関わったのではないか。
経済的にも、精神的にも自立した「人」が、
新しい実践的な生き方を示したように見えた。
娘には「賢母」として、夫には「良妻」として振る舞った
自立した「人」というのはうがった見方なのだろうか。

時代の波を巧みに、そして自由に乗り続けてきた「高雄港の娘」は、
昭和を引きずり、男であることを引きずり、
そして既成の価値観に引きずられながら今を生きる私に、
「人」として、自由に生きる姿を鮮明に見せた小説であった。
それはまるで、手の届かない頭上に輝く太陽なような女性の生涯を
描いた小説だったとも言える。


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田中美帆|『高雄港の娘』春秋社アジア文芸ライブラリー
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15