未知の高雄を起点に女性史を描く——ルポライター・安田峰俊さん
台湾の主要都市を日本に置き換えると、事実上の首都である台北が東京、歴史が古い台湾が京都、経済都市の高雄が大阪に相当する……。などと、よく言われる。日本人のみならず、日本通の台湾人自身もよく口にする比喩なので、それなりに広く知られている概念なのだろう。
もっとも、日本人にとって圧倒的に馴染み深い都市は、「東京」たる台北とその周辺の九份や淡水といった観光都市だ(いわば、鎌倉や川越のようなポジションである)。「夏休みに3泊4日のツアーで台湾に行ったよ。いい国だよね」と話すようなごく一般的な日本人ツーリストの目に映る「台湾」は、ほぼこれらの台北都市圏とイコールだ。
こうして台湾が好きになった人は、2度目の旅行で台南に行くかもしれない。鄭成功ゆかりの遺跡である赤崁楼と安平古堡、数多く残る日本統治時代の建築物、なにより街全体に漂う独特のゆるい雰囲気が実に魅力的な街だ。かき氷も美味しい。
いっぽう、日本国内の台湾報道やジャーナリズムの世界も、とりわけ政治系の話題では基本的に台北の方角を見ている。よく頑張って、せいぜい観察範囲は台南までだ(民進党の最初の総統だった陳水扁は台南出身、現総統の頼清徳は元台南市長である)。ついでに言えば、ビジネスの世界で注目されるのも台北。あとはTSMCなどハイテク企業を多数擁する新竹である。
こうしてみるとお気づきのように、高雄はその知名度に比して、日本人から見ると意外と影が薄い街だ。現地の観光地の王様は、キワモノ的なオブジェと大建築で知られる宗教施設の佛光山。もちろん他にも見どころはあるが、台北や台南と比べるとややマニアックで「高雄でなくては見られない」ものは多くない。
グルメも台南に軍配が上がる(気がする)。高雄は政治的にも重要な土地だが、国民党の韓国瑜の地盤でもあり、やはり多くの日本人にとってはちょっとマニアックだ。経済面では台湾最大の港湾とコンビナートで知られるが、ビジネス誌が好みそうな華やかなハイテク企業は多くない。
台湾を代表する大都市のひとつなのに、日本人はよく知らない。そんな高雄の街を出発点に、日本統治時代から現代までを生き抜いた女性・孫愛雪の半生を描いたのが、『高雄港の娘』である。
日本統治下での理想的な教師だった父親のもとで生まれ、比較的恵まれた暮らしを送る彼女の周囲で徐々に強まる戦時色。日本の敗戦とともにやってきた中華民国政権に対する一瞬の期待と、その後に吹き荒れた白色テロ。やがて孫愛雪は日本にわたり、台湾独立運動に奔走する夫を支える。戦前の日本仕込みの良妻賢母的な価値観は持ちつつも、みずからもかいがいしく働き、実業家としての成功をおさめていく。
本作にはモデルとなった人物がいるが、こちらは他の人たちの解説に任せよう。ここで言えるのは、かつての日本統治下から国府統治に切り替わった時期の台湾には、孫愛雪と似たような人生を送っていた人たちが非常にたくさんいたという事実だ。
こうした、戦中戦後期の台湾人日本語世代の数奇な運命は、はるか昔から数多くの手記や自伝的小説が刊行されている。日本の大学で学問をおさめた後に228事件で命を落とした葉盛吉の手記『ある台湾知識人の悲劇』や、台湾出身の作家で実業家の邱永漢が若き日に著した短編小説「香港」「濁水渓」はとりわけ有名だ。特に邱永漢の作品の場合、戦後の台湾人商人たちと香港とのつながりという、『高雄港の娘』とも共通する話題も描かれている。
ただ、このように多くの先駆作があるにもかかわらず『高雄港の娘』が独自性を失わない理由は、まず主人公が女性であること。その目から見た戦前日本、国府台湾、戦後日本が描かれている点だろう。本書の原作の刊行は2020年末で、中華民国初の女性総統である蔡英文政権が2期目に入った年だ。女性史を文学作品に落とし込むという試みそれ自体に、台湾社会の時代の変化を感じさせる。
そして、もうひとつの要素が「高雄」だ。日本人にとって、名前は知っているのに意外と縁遠い街、高雄。だが、この街にはかつてこうした台湾の「日本語人」たちが数多く暮らし、時代の流れに翻弄されながら、ある者は斃れ、ある者は戦後を生き抜いた。
そんなことを考えながら、本書をぜひ紐といてみてほしい。