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台湾ひとり研究室:映像編「鍾孟宏監督《餘燼》がつなぐ忘却と記憶の狭間」

本作のタイトル「餘燼(よじん)」とは、焼け跡にくすぶる残り火のことを指すらしい。タイトルの意味がよくわからないまま劇場に向かったのだが、観終わった今はこの絶妙な名付けに唸るしかない。

台湾の映像作品を何本か観たことのある人が本作の予告映像を見れば、即座に主役級の俳優がずらりと出揃う作品とわかるだろう。「予算1億元(約5億円)以上」というが、もしかしたら出演料にかなりの予算が割かれているのかもしれない。

全体で約2時間半。比較的長尺だが、あっという間だった。

週末の朝、市場で男性が刺殺された。担当になった先輩警官の張振澤(張震)と後輩の小蔡(劉冠廷)は早速、事件を調べ始める。休日の人混みにもかかわらず、確実に命を狙う手口は、衝動で行った殺人ではないと読んだ張は、関係者への聞き込みを重ねる。そこへ被害者は失踪してしまった父の友人だと訴える女性(許瑋甯)が現れた。そして、被害者と失踪者は1956年に起きた事件と接点があることが見えてきた。「50年以上も前の話じゃないか」という上司の言葉をよそに、調べを重ねていく張と小蔡。台湾の独裁政権下で起きていたこととは——。

物語は、1950年年代と2000年代、台湾だけでなくアメリカへも飛びながら、じわりじわりと真相へと近づいていく。

単なるサスペンスではない。台湾社会と時代背景がストーリーの中に溶け込んでいて、かつ、激しめのアクションシーンも織り混ぜながら、時折、笑いも挟まれる。スリリングな展開に押しつぶされそうになる心をふっと緩めてくれる。緊張と緩和が絶妙にやってくる。

台湾には、誰もが猜疑心に包まれ、密告が横行し、捕まると生きて帰ることが非常に困難な時代があった。50年代の政治弾圧がもとで、エリートの一部は海外へと逃亡した。今でこそ言論の自由が定着し、女性総統が誕生し、民主主義の社会だと外からは見える。だが、社会は本当に変わったのだろうか。そして正義とは一体何かという哲学的な問いを投げかける。

試写終了後のトークの様子。右から2人目が監督(撮影筆者)

「昔の話じゃないか」「ああするしか仕方なかった」

こうした声は、時として——とりわけ犠牲になった側にとって——残酷に響く。そういえばNHK朝ドラ『虎に翼』で寅子が言っていた。

「私は、今、私の話をしているんです!」

人生を丸ごと変えられてしまった人を目の前に「昔の話」「仕方ない」と済ませてしまっていないか。ただ、真相がわかったところで、何が正義なのかは判然としない。それでもなお、歴史を忘却しつつある台湾に、目を覚ませ、と声を掛けるような2時間半だった。

映画は11月15日から台湾の劇場で公開が始まる。特に戦後の台湾社会について興味がある方、サスペンス作品がお好きな方には非常におすすめする1本だ。

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田中美帆|『高雄港の娘』春秋社アジア文芸ライブラリー
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15