シャバフキン
高校生と関わる仕事をしています。
高校生の生活を見て感じることを書いています。
フィクション寄りのノンフィクションとノンフィクション寄りのフィクションです。
最近の記事
「定額読み放題サービス」のように、たくさんの本が安い料金で簡単に読めるようになった令和の時代において、昭和の児童書『モモ』の教えは、より貴重に聞こえる。
<わたし、シャバフキンは、高校生に勉強を教えながら海辺で暮らしています> 月額980円で対象の本がどれでも読み放題のサービスがある。 様々な種類の本があり、その中に、詩集もある。 詩集や歌集を読むことに喜びを覚える者として、本屋さんには並ばないようなマイナーな詩集や歌集が定額料金で読めることは、存外の喜びである。 だが、 ダウンロードし放題 感覚的には0円くらいの定額制 色んな本が次から次にサクサク読める そんな便利なサービスを利用しながら詩集を読んでいると、頭にも、目
先生たちは、ブルシット・ジョブの波の中で溺れかけているが、子どもたちも、色々な大人から課されたブルシット・ワークの波の中で溺れかけている
<わたし、シャバフキンは、高校生に勉強を教えながら海辺で暮らしています> 人前でものを教えることを仕事にしているのに、漢字があまり書けない人が、世の中にはいる。 国語の先生でもないかぎり、漢字を書けないことは大したことではないとは思うが、漢字が書けないことを恥ずかしいと思っていることが、教壇から伝わってくる人もいて、見ていてかわいそうになる。 また、書いている漢字は合っていても、書き順が違う人というのも、まあまあいる。 だが、これは日本だけで注意を向けられる点で、欧米に行
SNSで推しへの愛を語っている今の子ども達と「机」や「下敷き」に好きな芸能人の名前を書いていたかつての子ども達の本質は変わっていない
<わたしは、高校生に勉強を教えながら海辺で暮らしているシャバフキン> 「音楽」の授業で歌った歌は今でも覚えているが、「国語」の授業で扱った小説は一つも覚えていない。 それは、国語の教科書に載っている小説がつまらないのではなく、教科書に載ることで小説がつまらなく感じてしまうからだろう。 どんなに良い小説でも詩でも短歌でも、国語の授業内で読むと、途端につまらなくなる。 勉強やスポーツを強制されるより自主的にやったほうが成績が伸びるように、本を読むことだって、強制されるより自