「自分」と「ネット」
自分は、
ひとりである。一人。
ネットでは偽り、多数の人間になりすますことができる。
「田中」自分の一人称である。
でも、他の一人称だって何個でも作れるというのだ。
しようと思えば、ふたつの名で歌うこともできる。
生身で触れることの出来る現実では、性別。外見。声。話し方。雰囲気。
すべてが固定されたものとなる。
とても嫌なものだ。
田中。
一般人。そんな肩書きで生きれるのはネットの中だけだ。
現実では、うるさいやらきもいやらぶすやら、不真面目だとか頭がおかしいだとか。無意識な無神経さがとても重しとなり、枷となっている。
はっきり言うと、ネットでの自分は何個もいるんだと。
「私」としてうつになっている自分
「僕」としてあほを演じる自分
「わたし」としてとても元気でいる自分
田中はおれだ。
書きだめ消化。