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ひとりで生きるということ

友人の「急に具合が悪くなる」という本についてのライブ配信を見ながら(聞きながら)書き始めた。

人間は社会的な生きものでひとりでは生きていけないという中で、私が選択することで周りに影響を与えることはわかる。選択は自分ひとりのものではない。だからひとりで抱え込まなくてもいいということはわかる。

でも選択するとき、その選択を他人に開くことができない。そもそも私は誰に相談すればいいのかわからない。
フリーランスで会社に所属していないから上司がいるわけではない。私の個人的なことをシェアしている人が誰もいない。今、私が普段定期的に会うのはひとりくらい。

自分は自分の周りにいる5人でできているという考え方でいうと、会社員のときは社長やプロジェクトのメンバーに影響を受けていた。でも今はいない。いったい今の自分は誰に作られているんだ?(要約)

今の私は昨年出会った3人の大切な人たちが近くにいる。
そのうちのひとりは人生で出会った中で一番信頼する人で、私が死んだ後の後始末を頼んだこともある。子宮全摘手術をするのに全身麻酔をすることになったとき、もしもの場合の指示書を託した。(あれはまだ有効なのだろうか?)

私が普段、表には出さない話も彼奴とはする。それは仲がいいからというより、面白半分に知りたがったり、茶々を入れたりしないから。お互いに極めてプライベートなことを話しても「へーそうだんだー」で終わってしまう。
だから、選択する場面で誰かに相談しなくてはならなくなったら、彼奴にする。それに対して、彼奴はきっと論理的に選択肢を分別し、それぞれのメリットデメリットを語り、「これがいいと思いますよ、知らんけど」と言うだろう。

だけど、結局私は誰にも相談しない可能性が高い。今までも大抵の場合、誰に相談することもなく、自分のことは自分で決めてきた。相談をあまりしたことがないから、相談の仕方を知らない。
それに相談して決めたことが、のちによろしくない事態となったとき、相談した相手のせいにしてしまいそうで怖い。重大な選択ほど自分だけで決めたい。

母が病気なったときも、父の介護も、自分の精神的な治療も肉体的な治療も、全部自分で決めてきた。
誰かと一緒に悩んで考えて相談してとしたことがない。
つくづくひとりで生きてきたと思う。
そして、この先もきっとこのままだろう。
選択だけでなく、全てにおいて人に開くことはできない。心は閉じたまま。
だから私はひとりで生きる。

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす