ホワイトアスパラガス
昨日もらった手紙の返事を書いていた。
私を気遣う、優しさあふれる温かい手紙。
どうしようもなく泣けてきて、下まつげにのった涙粒がぱんぱんになったとき、「私を例えるならホワイトアスパラだ」とふと思った。
本来のアスパラは緑。
地面を突き破って出てきたままを育てると、緑のアスパラになる。
ホワイトアスパラは、地面からほんの少し頭のてっぺんが見えたところで袋を被せて、そのままの状態で大きくなるのを待つ。
そう、同じものなのに育て方が違うだけで、まったく別なものになる。
私も、袋を被ったまま今に至る。
世間のことも、人間のことも見ないまま生きてきた。
だから打たれ弱くて、無知。
鎧をまとって身を守るというより、目と耳をふさいで我関せずという感じ。
何も見たくないし、聞きたくない。誰とも関わりたくない、関わって欲しくない。
閉じた真っ暗な自分しかいない世界。そこは安全で安心な場所。
誰かに守って欲しい人より、重度のあかんたれ。
誰のことも信用していない。人はいつか必ず裏切る。自分を置いて去っていく。
そう思っているから、一緒にいるとさびしい。誰かといてさびしいのは、ひとりのさびしさよりずっと苦しい。
そんなふうに思うようになったのは、いつからだろう。
いじめられたことはないし、虐待されていたわけでもない。
だけど、子どもの頃からずっと、自分はひとりで生きて、ひとりで死ぬと思っていた。ホームレスで、野良ネコのように誰にも見つからない場所で死んでいるだろうと、小学校卒業時には書いた。
ホワイトアスパラガスとしてできあがった私。
人は変わらない。私も変わることはない。
緑色のアスパラガスをうらやむけれど、妬みはしない。だって、その世界が怖いから私はホワイトでいることを選んだんだもの。
誰かによって袋を被せられたのか、自ら被ったのか、記憶はない。
でも袋を被っていることには気づいていた。脱ぎ捨てるという選択肢があることも、薄々気づいていた。
だけど、私は袋を被ったまま、自分の世界に閉じこもることを選んだ。
問題は、袋に小さな亀裂が入ったこと。
ほんの小さな隙間から差し込む日光は温かくて、まぶしくて、心地いい。
思わず手を伸ばして、隙間を広げたくなる。
広げるだけでは飽き足らず、きっと脱ぎ捨てたくなる。
誘惑との葛藤。
外へ出たら、きっとひとりが怖くなる。
ひとりでいられずに誰かに依存したくなる。
誰かは耐えきれずに逃げ出す。
私が閉じこもれる袋はもうない。安心できる真っ暗な世界には戻れない。
その絶望を思うと、ホワイトアスパラガスのままであることを選ぶ。
不甲斐ない自分に涙しながら。
薄く差し込む温かさに憧れながら。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす