尽くした言葉のアーカイブ
(6月5日のInstagramより)
昨日のお弁当はタンドリーチキン弁当。タンドリーチキンマサラに鶏もも肉で、少々お高め280円也。
気合の入るお弁当。今思えば、気合、入れたかったんだなぁ。目的地に着くまで、というか声をかけられるまで、怖くて怖くて行きたくなくて怖くて。
フリーランスとしての心得を説いてくれる人がいる。その人はとても厳しく、話してると身の縮む思いがする。けれどその厳しさがとても温かくて、なんなら私を思って言ってくれてる気がして、ちゃんと聞こうと思う。
誰もいなくなった午前1時半。私も帰ろうとしたら、声がかかった。「で、相談って何だったの?」それから1時間弱、しっかり相談にのってくれた。ああ、私はこの人に認められたい。だから挑戦しよう。
話の途中、やって来た人に助けが必要だとわからせようと熱弁をふるう。彼の気持ちが伝わらない様子に、心が痛くて痛くてたまらない。
朝5時半、とりあえず第一段階突破。結果がどうなるかわからない。あとは待つだけ。
空も花も美しい。言葉で表さずとも美しい。でも心から出る言葉はもっと美しく、胸を打つ。私には文字に色は見えないけれど、言葉がまとう発する人の気持ちは見える。
いつもたくさんの言葉をありがとう。いつもあなたの言葉に救われています。
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昨夜、秘密基地へ行った。火曜日から思い悩んでいたことがあり、手持ちの情報から紐解くのは自力では無理と判断。というか、その人ならどう解を導き出すのか知りたくて、おととい「相談したいことがあるので行っていいですか?」とメッセージを送った。
送った直後から、実は後悔していた。人に解を求めるのは違うと思ったから。解は自分で出すもの。取り消そうにも取り消せない。どうしようと思っていたら「どんぞ~」と返事が来た。これはもう行くしかない。
昨日、自分で問いが立てきれてない状態だったので、仕事中もずっとそのことが頭から離れない。解を求めるのもどうかと思うのに、そもそも問いが何かもわかってない。それで「相談したい」とは。
相談相手は厳しい人なので、はっきりしないまま時間をとらせることが怖くて仕方なかった。行きたくなくて行きたくなくて、でも「行ってもいいですか?」「どうぞ」というやりとりが行われたからには行くしかない。
結局、閉店時間まで一度も話すチャンスはなかった。ただひたすらにお酒を飲む。緊張していたのだろう、最初の2杯で酔った。忘れてしまいたい、忘れたことにしてしまおう。今夜はただお酒を飲みに来ただけ。
午前1時を回り、どんどん人が帰っていく。支払いが続き、気づいたら最後になっていた。
「で、相談って何だったの?」
支払うためにQRコードを読み込んだとき、そう声がかかった。思わず目をつぶり、そのまま動けない。
「言いにくいこと?」
要領を得ない話を右往左往、迷子になりながら話す。そんな話から、きちんを問いを立て、その解を「自分なら」と語ってくれる。本人すら迷路になっていたところをわかりやすい地図に書いてくれた。
2時頃、そろそろお会計をして、と思ったところで、早い段階で次の店へと移動した知り合いが戻ってきた。
その後5時半まで、その人は熱弁を奮った。共通の知り合いを救いたい、助けたいとの思いで、あらん限りの言葉を尽くす。元々言葉数の多い人だが、これほど感情を露わに言葉を尽くす姿を見たことがない。
私は感情の共鳴器だ。人の感情に気づくと共鳴し、他人事なのに私の中で感情が増幅する。相手が私もずっと気になっていた知り合いだったので、流れ込んできた感情を押し止めることができない。一方で、言葉がいかに無力か、思いの届かなさに自分の感情も高ぶっていく。
普段であれば、私は人のことに口出ししない。自分の気持ちを誰かにぶつけることはない。だって人は変わらない。自分で変わろうとしなければ変わらない。けれど、感情の激流に飲み込まれ、つい自分の思いを投げつけてしまった。その場にふさわしい言葉だったかどうか、わからない。
言葉が通じない。思いが伝わらない。どれほど言葉を尽くしても気づいてもらえない。言葉は発した瞬間、語り手から受け取り手のものとなる。その残酷さに涙が出る。
一度全員がクールダウンし、場が和やかになったのも一瞬のこと、再び激論が始まる。疲れてあきらめた私とは反対に、その人はどこまでも言葉を尽くす。どこにそんな体力があるのだろう。なんて心の強い人なんだろう。
結局、引き出したかった一言は引き出せた。あとは、その言葉を本人が実行するかどうか。
この夜、私が自己を振り返ったこと。
・他人には「なぜ」と問わない=キツイ思いをさせるから
・「なぜ」ではなく、聞くなら「何を」「どのように」
・何をやりたいか、わかる人ばかりじゃない。わからない人にも居場所は必要
・他者を満足させることを自己満足にする
・原動力は「楽しい」もしくは「楽しくするには」
たぶんもっともっと大切なことをたくさん聞いたはず。気づいたはず。それを思い出して記さねば。私のために。誰かのために。
言葉は人を救う。目の前の相手でなくとも、誰かを救う。救われる人がいれば、尽くした言葉は無駄にはならない。いつか回り回って、目の前の相手に届くかもしれない。
だから私はそこに通い、言葉を集め、書き記す。私のために。誰かのために。