朝帰りメモ
みんながハッピーになれることをしたい。「みんなのいえ」というコンセプトで何かできないか。あの人は本当に私と真逆で、分かち合いたい人。そして「おかえり」を言いたい人。(私は分かち合うことはできない質だし、「ただいま」と言いたい方)
みんなが「ただいま」と言える場所をつくりたいし、その輪の中にいたいんだと思う。そして互いに「ただいま」「おかえり」を言いたい人たちがいる。
でもそれがシェアハウスの本質では。建物をシェアして住むんじゃなく、生活をシェアして暮らすこと。それがシェアハウスの醍醐味ではないか。
先日、友だちと話していた、私がこんな家に住みたいという理想の形。広い森の中に1DKとか2DKの小さな家がぽつんぽつんとあって、その中心にだだっ広い家がある。各自その小さな家で寝泊まりするけれど、それ以外の時間はだだっ広い家ですごす。そこでみんなの洗濯をしたり、洗濯物をたたんだり、ごはんをつくって食べたり。洗濯したい、洗濯できる人が洗濯をし、たためる人がたたみ、ごはんをつくりたい人がつくる。みんなの分を一緒に。(前にこんな記事を書いた気がする)
このだだっ広い家が、この集合住宅の「こうみんかん」ってこと。みんなが集う、金銭のやり取りを介さない付き合い(交流)ができる場所。あの人、ここまで考えて言ってるのかな。
そして昔の記事あった。
森の中にぽつんぽつんと各戸あるといいけれど、以前うちに立ち寄った人が始めた、アパートもすごくいいなと思ってる。
アパートの各戸をつないで、小さな自分の部屋はあるけれど、LDKは共有スペースになってる。これは別にシェアハウスでは珍しいことはないけれど、アパートの一室という、少しプライバシーが確保できる形になっているのがうちとは違うところ。(うちの本宅の1階は昔ながらの家で、4間が「田」の字形にふすまで区切られているだけで、上の方は空いていて音もれが気になる模様)
昨夜いたメンツは、言い出した本人を除いて、他人とは一緒に暮らせない人たち。自分の家で暮らしたい人たち。でも、みんなでごはんを食べるとか、誰かのためにごはんをつくるとか、家に帰ったら「おかえり」と言ってもらうと安心できるとか、友だちがいることで安全が確保できるとか、そういうことを求めてる。
ほんの少しの暮らしの重なり合いを、お金儲けを抜きにして形にできないものか。そして、たぶん共感してここに集う人たちは、ちゃんと「家賃の足しに」とか「光熱費の足しに」と投げ銭できる人だと思う。もちろん、間口は狭く、コンセプトに合致する人を取捨する必要はある。誰でもOKだと、場を壊さない人たちが駆逐されてしまうから。
ああ、バイト前に寝なくてはいけないのに、目が冴えてきてしまった。でも寝る。いつものバーで昨夜見聞きしたことを、朝帰りの運転中にあれこれ考えた。これはそのメモ。