アブサンとチバユウスケ
猛烈に後ろ髪を引かれている。どうしてこのタイミングなんだろう。もっと早かったら、きっと迷うことなどなかったのに。
2月、私は佐賀県唐津市の地域おこし協力隊を不採用となった。4月から唐津で暮らす。勝手にそう思っていたが、叶わなかった。
もちろん、不採用になっても引っ越せばいい。でも、ネコ4匹を連れたほぼニートなフリーランスが借りられる家はない。住むところがなければバイトのしようもない。
つまり、今は唐津へ移り住むことは不可能。
そのタイミングで友だちからアルバイトを紹介され、期間限定で勤めることに。が、その直後、仲よくしていたカフェ店主から店舗を改装・拡大するので一緒に働かないかと誘われた。すでに期間限定アルバイトへ行っていることを伝えると、その期間終了後に改めて話し合おうと言ってくれた。
そこまでだったらよかったのに。今からその時点に戻りたいとすら思う。
しばらくして、シェアハウスの大家さん問題などがあり、いつまでこの家で暮らせるかわからない、叩き出されたときネコ4匹を路頭に迷わせてしまうという不安から、引っ越すことに決めた。
行き先は鳥取県。なぜならネコを飼っていい家がそこで見つかったから。ほかにも、家主が、以前から私が興味を持っていた人で、その人と日々話をしたいとか、日々観察したいとかいう気持ちもある。そして、モリのいないモリハウスを見たくなかったから。モリがいなくなってモリハウスでなくなっていくのも、モリがいなくてもモリハウスがにぎわっているのも、どっちも見たくない。
8月いっぱいバイトをしてお金を貯める。声をかけてくれたカフェでも週末働き、次の人に引き継げるようにマニュアルを作る(現在、鋭意制作中)。そしてRENEWが始まる前に、ここを去る。モリを見送ってから。
そのつもりだった。今でもそのつもりではある。でも。
一度鳥取へ行き、家主や家主周辺の人たちと会い、ここに住むと決めた。それから今までのひと月半で、タナカアキになってから約2年の中で最も多く、濃密な出会いがあった。
今夜も情報量過多な時間をすごせたバーのオーナー、そのバーのお手伝いをしている人、微遍路の田中さん、前から知り合いだったけれど急に距離が縮まった人、まったくお金にならないのに見過ごせなくて手を貸したくなる職人。それに、私の能力も知らずに「雇いたい」と言ってくれたカフェ店主夫妻に、「友だちになってください」と言ったら「友だちだと思ってます」と言ってくれた人もここにはいる。
そんな人たちに「またいつか」と手を振ることが、はたして私にできるのだろうか。
毎日心は揺れる。昨日は「準備万端にしてカフェの仕事を引き継ごう」と思い、今日は「こんな夜を手放したくない」と思い。思い出があれば生きられるけど、思い出にしたくないときはどうしたらいいんだろう。
悩んでも答えは出ない。なるようになるさでいるしかない。
そして去る日が来たときに後悔しないよう、会いたい人には会えるだけ会っておく。聞けるだけ話を聞いておく。そして、飲めるときに飲んでおこう。チバさんの歌声を聞きながらアブサンを飲もう。いつものあのバーで。知らないことをおしえてくれるあの場所で。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす