お金も欲しいが、それより厚みが欲しい
はたして私はこのままライティングを仕事とし続けるのだろうか。
私より表現力のあるライターじゃない人もいるし、私より濃い一編を作り上げるライターもいるし、私より情熱を持って書いてる人もいる。
そんな中で私は書くことでお金をもらえる人でいられる気がしない。
今日は「そもそも私はこれからどうしたいんだろう」ということを書きながら考えようとしていた。
生きていくのに必要なくらいプラスなにかあったときのための貯金ができるくらい稼げればいいな。車検の費用、車の買い替え費用、ネコが病気になったときの備えを少しずつできたらいいな。
と思っていたけれど、ちょっとガッツリ稼ぎたくなった。毎月70万とか稼いで、毎月50万くらい貯金して、2年で1200万貯めて、中古のキャンピングカー買って、北海道から九州まで気の向くまま暮らすように旅したい。
だけど、頭をガツンと殴られ、胸ぐら捕まれ、足技でひっくり返されたくらいの記事と出会ってしまった。
最近、ぼちぼちライティングを受注して時間がない。
ネットから情報を探して書くような案件ではなく、自分が体験したことを書くために引き出しを増やそうと釣りを始めた。
そんな言い訳をして、ライフワークと公言しているインタビューをサボっている。
だけど、やりたい仕事のひとつはインタビュー記事を書くこと。一応、新しく立ち上げるメディアの取材依頼もきている。(まだ始まってないから未確定だけど)
なのに私はなにをしているんだ!
書いてはいる。案件あるから。
ただ書いてる。調べて書いてる。
やりたい仕事ではないけれど、仕事だから。
書くことでお金をもらうのだという自覚は芽生えてきた。
今月は2件、有料のセミナーというか講座というかそういうのも受講する。
だけど、それでこんな記事が書けるようになるとは到底思えない。
書いてきた本数もあるし、書いてきた記事の種類も、全然足りてない。
でもそれ以上に、自分の中身が足りてない!
言葉のチョイスや話の引き出し方という表面的なことじゃなく、圧倒的に人間としての経験や学びによる密度が薄すぎる。薄っぺらいのだ。
インタビューは、インタビュイーの物語。だけど、そこにインタビュアーの姿も映し出される。インタビュアーの気配は消して、インタビュイーだけの物語とするのがよい記事だとは、私は思わない。
だってインタビュアーの目を通して記されているのが、インタビュー記事だから。そこにはどんなに薄くてもインタビュアーが存在している。
形はインタビュー記事だが、これはルポルタージュやノンフィクションといえるかもしれない。そして私はルポルタージュやノンフィクションが大好き!
つまりは、私は書くことでお金を稼ぐ人になるのなら、こういう記事を書きたい!ということ。
そして、はたして薄っぺらい私にこんな記事が書けるのだろうか、ということ。
どうしたら人間としての密度が濃くなるんだろう。どうしたら厚みが出るんだろう。
人間としての圧倒的な差に、なぜ私はこんなに時間を無駄にしてしまったんだろうと泣けてくる。どう考えても私はこのインタビュアーより長く長く生きてるわけで、その時間分きちんと生きてきていたらここまで薄っぺらではなかったろうし。
しかし、泣いていても仕方がない。
道はふたつ。
これまでのような記事を書き続けるか、目指す書き手になれるよう薄っぺらを脱出するか。
厚みが出たからといって、書けるようになるわけじゃない。そこには表現力や構成力、書ける場があるかが関係してくるから。保証はない。
それでも、薄っぺらいことに対するコンプレックスは解消されるはず。
うん、薄っぺらを脱出したい!
だがしかし。
薄っぺらくなくなるために、どうしたいいだろう。
そこが問題。
はて。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす