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私の礎(たぶん前編)

 自分が恵まれた生まれ育ちだと改めて思う数日間だった。論にもならない話に付き合ってくれる友だちのおかげで、自分について、自分が目指す社会について、起きている時間のほぼすべてを費やして考え続けた。おかげで、抑うつ状態を脱した気がする。

 うちは両親ともに教師で、どちらもバリバリの左派。特に父は長期政権を打ち立てた高教組委員長だった。
 京都の宮内庁御用達の呉服屋の長男なのに、京大卒業後、田舎の高校教師になった。本人曰く、学生運動をやりすぎて、京都で就職できなかったのだとか。懇意にしていた教授の紹介で、こっちへ来て教師になったという。
 父の口癖は「世界を変えるには教育しかない」。父は革命家だった。これを言うと誰もが笑うけれど、本当に革命を起こすつもりだった。教育という手段で。
 世界(社会)を知ること、歴史から過去を学ぶこと、知識から考えること。考えて、行動すること。そんなことを日本史の授業を通じて生徒におしえていたらしい。
 何度か見せられたが、中間・期末テストは地獄だった。問題は1問か2問くらいで、解答用紙は大きな枠が問題数分あるだけ。「〜〜〜ということがあったが、それについて解説せよ」とか「〜〜〜となったのはなぜなのか、事例を上げて説明せよ」とか、知識と理解力が試される。
 教育委員会と反目していたため花形の進学校へ赴任することはなく、だからこそこんな問題も可能だった。

 私が子どもの頃に祖父の呉服屋は宮内庁御用達となったが、父が幼いときにはまだまだ儲かってなかったらしい。それなのに「同志社高校へ行きたい」と言いだした。さらに「同級生も同志社行きたいたいけど、家が貧乏だから一緒にお金出して」と祖父に頼んだそう。余裕はまったくなかったみたいだが、二人分の学費を払い、同級生を家に住まわせ、生活の面倒も見た。
 父がどうしてそんなことをしたのかは聞いていない。でも、仲がよくて一緒の学校へ行きたかった、ということではないと思う。ひとりがさみしいとか、そういう人ではない。同級生ができる子だったから、勉強できなくなるのがもったいないと思ったのか。
 金づかいの荒い人だったが、自分の楽しみのためと同じくらい、政治活動にもお金を費やした。内緒だが、数百万以上投じたらしい。その利子として毎年、昆布がお歳暮で届いた。母はそれでおせちをつくりながら、「元本返せ」と愚痴を言っていた。
 世界をよくしたい。ただその一心で、父は活動し続けた。おそらく死ぬまで。

 両親ともが教師だったので、私が高校生の頃、うちの年収は一千万くらいあったと思う。堅実に貯金し、家を2軒建て、4〜5年に一度新車に買い替え(父の活動で10万キロを超えるため)、さらに夏休みには1週間、家族4人で旅行に出る。
 うちは間違いなく「持てる者」だった。でも、両親は「持たざる者」の方を向いて世界をよくしたいと考えていた。富の有無に関係なく、身体の自由不自由に関係なく、人間はすべからく幸せであるべきだ。誰ひとり、置き去りにしない。すべての人は幸せである権利を平等に有する。
 それはたぶん、ふたりが戦争経験者だったからだと思う。
母は父親を戦争で亡くした。顔は覚えていただろうか。戦火を逃れ、九州から大阪、そしてもっと田舎へ。戦時中も戦後も、ずっと貧しい暮らしだったらしい。祖母が再婚した人は、酒と女にだらしなく、鳶の親方ではあったけれど商売が下手だった。私と姉にはとてもいいおじいちゃんだったけれど、祖母や家族は苦労したと聞く。
 母は地元の大学へ進学し、総代を務めた。京大卒の父が「彼女は僕より頭がいい」というくらい賢かったようだが、県外でさらなる貧しい生活を送る覚悟がなかったのだと思う。
 私と姉には「お金はいくらでも出すから、勉強していい大学へ入りなさい」と言っていた。自分と同じ轍は踏ませたくなかったのだろう。

 両親、特に母は、私たちの本に関してお金に糸目をつけなかった。岩波少年文庫、福音館書店の全集、岩波書店ジュニア新書、ジャポニカ大日本百科事典などなど、欲しいと言わずとも買って本棚に入れてくれた。
 そして「自分の意見を持ちなさい」が口癖。たぶん小学校に入った頃には、すでに言われていた気がする。でも、母の意見と異なることを言うと「子どもは親の言うことを聞いておけばいい」という理不尽な人でもあった。
 夜ごはんを食べながらニュースを見ていると、そのことに関して意見を求められる。学校の出来事を話すと、なぜそうしたのか問われる。そして「みんながしてるから」「みんなと同じがいい」という理由は却下された。「自分はどうしたいのか、なぜそうしたいのか考えなさい。答えられるまで起きてなさい」と夜中1時2時まで無言で対峙したこともあった。(で、自分だけ先に寝る)
 そんな母に比べたら、学校の先生なんてかわいいもの。理屈をこねて激怒させたことが何度もある。それで学校に呼び出された母は「自分の意見を持てとおしえている。それにあなたの言ったこと(したこと)はこうこうこうで間違っている」と絶対に謝らなかった。
 そうやって学ぶこと、考えることは身についたけれど、その大切さがわかっていたわけではない。ただ染みついただけ。

*****

自分の過去を振り返ってたら、何書こうとしてたか忘れてしまった。
明日、続きを書こう。書き始めたときとは違う結末になるとしても。



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タナカアキ
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