「おとなの背中」鷲田清一著
「もし~できれば」という条件下で、じぶんの存在が認められたり認められなかったりする、そんな仕組みのなかで生きつづけていると、人はじぶんが「いる」に値するものであるかどうかを、はっきりした答えが見つからないままに、恒常的にじぶんに向けるようになります。(鷲田清一「おとなの背中」より)
この先、鷲田清一の本をすべて読みたいと思っている。今は、この「おとなの背中」含め3冊、読んだかな。
どの本にも、私が感じてきた違和感だったり、疑問だったりに相当する記述がある。しかも、私には上手に表現できなかったそれらを鷲田は平易な言葉で表していて、読むほどにつっかえていたものが腑に落ちていく。
そのようななかでわたしたちは、自然のことですが、いまのこのわたしをこのまま認めてほしいという、いわば無条件の肯定を求めるようになります。何かができなくても、じぶんをこのままで肯定してほしいと願うのです。(同上)
そして、易しくわかりやすい言葉で、読む人の背中を押したり、さすったり、抱きとめてくれたりする。
私が鷲田清一を読みたいと思うのは、もやもやしたものに輪郭を与えてくれるからなのだが、もうひとつ理由がある。しまい込んでおいた自分にすら見せたくない感情、気持ちが、鷲田の文章を読むと昇華されるのだ。
だから、ひとはじぶんを必要としてくれる人、「できる・できない」の「条件」を一切つけないでこのままのじぶんを認めてくれる人、あなたはあなたのままでいいと言ってくれる人を求めるのです。けれどもこれはちょっと危ういことでもある、そのことに注意してください。じぶんの存在の意味を、あるいは理由を、他人のうちに発見するというのではなく、いつもあなたはあなたのままでいいと言ってくれる他者がつねにいてくれないと不安になるというふうに、じぶんの存在の意味を、理由をつねに他人に求める、他人ににそれを与えてほしいと願う、そんな受け身の存在になってしまいがちだからです。他者に関心をもっていてほしい、その人が見ていてくれないと何もできない……そんな依存症にはまってしまうことがあるからです。(同上)
私は25年以上、明けない夜もあると思ってきた。
23歳のときに母が死んだ。
当時、インフォームドコンセントという考え方はまだ議論が始まったばかりで、病名や予後を告知して欲しいと担当医に頼んだが断られた。母は入院から半年で死んだ。
母は、自分は助かる病気だと信じていた。なのに死の1か月前、突然危篤になり、この世に戻ってきたものの首から下、すべてが動かせなくなった。ナースルームの隣にある重症者の部屋で、機械につながれ寝たきり。それでも、医師もナースも「よくなりますよ」「回復してますよ」と声をかける。たぶん、もう死ぬんだと、本人が一番わかっていたはずなのに。
もしもっと悪くなる前に余命を知っていたら、死ぬ準備ができていたかもしれない。やりたいことがあったかもしれない。やつれた姿を見せたくないと友だちに会うことを拒んで、ずっと病室でひとりだった。会いたい人がいたんじゃないだろうか。見たいもの、聞きたいもの、食べたいもの、会いたい人、読みたい本、全部、私たちが母から取り上げてしまった。
そんな後悔をずっと抱いている。
そして、私はずっと母の言うことに逆らうことで、自分の進む方向を決めてきた。それは失敗も多くて、「ほら、言ったとおり」と言われても仕方のないことばかり。でも母は、いつかなにかできるはずと私のことを私以上に信じていた。
逆らう相手と認めてくれる人、両方を失い、自分の存在があやふやになってしまった。
どっぷりと依存していた母がいなくなった。しかも生きる上で一番大切な存在だったのに、私に力がないばかりにひどい最期にしてしまった。背負いきれない後悔。
もう夜は明けないと思った。
あれから、26年。やっと、漆黒の空が藍色へと変わっていくのを感じている。
自分に存在価値があるのか、知らない。知らなくていい。
価値があろうがなかろうが、私は存在している。それは事実。
誰かに価値を認めてもらわなくていい。誰に認められなくても、私は存在している。
ここは私の世界。この世界は私のもの。私の時間、私の日常、私の生活、私の毎日。誰かの世界のお客さまじゃない。
わたしたちには、このように人生で見舞われるさまざまの困難、社会で直面するさまざまな問題に対して受け身でいるのではなく、それらを引き受ける強さというものが必要です。(同上)