【バリから始める地方創生(3)】流れに任せて地方移住。
人生は向上するためにある、魂も含めて。
なんて言うとちょっとだけ警戒心を刺激する気がする。
ん?危ない人か?意識高い系か?
いやいや、「ブラッシュアップライフ」が面白くて毎週見入っています。繰り返す人生の中で徳を積んでいかないとオオアリクイやサバに生まれ変わることになってしまう主人公。生き直すたびに状況が変わる中、前回積んだ徳を同じように積みなおすため悪戦苦闘する姿はどれがどの人生に向けての伏線なのかと1シーンごと釘付けです。
もうすぐ中3になる娘もハマっていて一緒に見ながら「お父さんも生き直したいと思う?」と問われました。
「何度か考えたことあるけど、あんたら子供4人に出会うには全く同じ道を通らなきゃいけない気がするから、やだ。」
なかなかいいことを言ったはずが娘からは「ふーん」と気のない返事。興味を失ったようで会話がそこで終わりました。よい週末です。
バリマラソンで倒れる
何がどうなればどうつながるのか。誰しも同じだけど縁やタイミングは不思議なことだらけ。というわけで今日は島根県美郷町に来た経緯を書いてみます。
2019年の夏。僕は当時ウブドラジオという配信番組をやってまして、その中でバリマラソンに参加するのが恒例となってました。
バリマラソン、いいんですよ。
サヌールからギャニャールまで行って戻る42.195km。街中を走るのでゆく先々の村で観衆が並び、踊りや楽器で歓迎してくれて、沿道の子供たちはハイタッチまで求めてくれる。まるで自分がいっぱしのアスリートになったようで、それはマラソン大会常連さんからしても珍しい、感動する大会だそうです。
3年連続3回目となったその大会の後、仕事が立て込んでいる時期に無理しての参加だった僕は調子を崩します。妻と子供は2015年から大阪に帰っていたので、電話で連絡を取りあっていたんですがその時はじめて「そろそろ離ればなれも限界かもね。新しいチャレンジを家族そろってやりたいよね。」なんて話につながったのでした。
バリ島マス村の姉妹都市
翌日のこと。再び妻から「島根にバリ島と姉妹都市になってる町があったよ。」と連絡がありました。島根は僕の両親の実家でもあり、年に1回は祖母に会うために訪れているところ。バリの会社も軌道にのってスタッフに任せられるタイミングになっていたのと、もともと地方で何かしてみたいという話はしていたのでこれは面白そうだなと。
電話の後、今度は僕がネットで見てみると確かに「美郷町」はバリ島のしかも僕の住んでいるマス村と姉妹都市になっている。さらに調べてみたらちょうど明日大阪で「中国四国・移住フェア」なるものをやっているじゃないですか。早速妻に連絡すると急ではありましたが行ってくれることになりました。
あいにく美郷町の方は来ておらず、美郷町の隣の雲南市から移住担当の子が来ていました。すごく感じのいい子でそこで11月の頭に雲南市に1日移住体験に行くことが決まります。美郷町はネットで調べる限り山奥すぎるので住むことはないな、雲南市はもう少し大きな町だしそこなら起業のチャンスがあるんじゃないか、その時はそんなことを考えていました。
はじめての美郷町
2019年11月。まずは雲南市でもののけ姫の題材にもなった”たたら場”や竜頭が滝などの名所。そして地元の方や移住してこられた面白い人を紹介してもらって(Rさんありがとう)かなり雲南移住に心が魅かれはじめます。移住者自体も多く、なにか新しいことを始めようという熱気が感じられたのです。
そんな雲南市を出発したのは夕方16時を過ぎたころ。車で1時間ほど進んだ頃にはあたりは暗くなり道も細くなり民家は減るばかり。中国山地の高い山がそびえる暗い谷間は、街灯も少なく「うーんこれはもう二度とこの道を通ることはないなあ」と話しながら美郷町に到着したのです。
三國屋との出会い
そこで泊まった宿が「三國屋」です。古民家を改装したお洒落な農家民泊でご主人が骨董好きなのもあり、内装のちょっとしたところに上等の民芸品が置いてあるなんとも洒脱な民泊です。
このご主人がもともと島根県庁で働いていて地域活性などを担当されていた方で、定年退職後に「自分が担当してきた地域おこし、言うだけじゃなく自分が実践せんと」と過疎化の進んでいた生まれ故郷の美郷町都賀本郷に帰ってきた地域愛の強い方でした。
それまで雲南移住に傾いてた僕らでしたが、その夜に聞いたご主人=田邊裕彦さんのお話がこれがまたすごい刺激的で。
この地域の歴史、毎年行われる神社の大きなお祭り(外国人もその時は訪れるという)、一番驚いたのは出雲大社を支えている9本の柱の中央「心の御柱」と呼ばれるそれが300年前にここ都賀の地から納められたという事実。
うちの両親は安来市出身で、出雲大社にはよく行っていたし、親戚の中に関係者がいたこともあったりで出雲は僕には身近な存在。それがこの石見の地と縁があるというのはなんとも嬉しい偶然だったんです。
住むわけないと思っていた美郷町が少しづつ近づいてきた夜でした。
しかしそれでもまさか自分がその三國屋のある同じ地域に住むとは思わず、しかも田邊さんと同じ自治会に所属するとは思わず。
それが今では一緒に活動し助けてもらっているのだから本当に縁の行く末はわかりません。
まさかのコロナもまた流れ。
マラソンで疲れ果てなければ、ネットで見つけなければ、Rさんと出会わなければ、三國屋を選ばなければ、全く違った人生を歩んでいたのかも。まだそのままバリ島にいたのかも。でも”流れ”ってあるんですよね。
僕だけの可能性もありますが、頭だけで考えた計画ってうまくいかないことが多いです。流れと一緒に動いたほうがいい結果を生んできている。17年間のバリ暮らしのなかで得た一番の考え方は”流れに身をゆだねる”だと思います。
まあ一寸先は闇だからこの流れが滝つぼに向かう寸前なのかもしれないですけど笑。でもそうならそうでそれもきっと意味があったりね。来ると決めた時はコロナで世界が止まるだなんて思いもしなかったですし。
「Syukur, Syukur(シュク―ル、シュク―ル)」が口癖のバリの卸問屋のお父さんを思い出します。いつも笑顔で陽気なアルサナさんは何かあるたびにこう言っていました。「ありがたい、ありがたい」と。
その後も偶然は続きますが長くなりましたのでこの辺で。
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