母に聞く
前回帰省した時、母方の母方を辿った。
よく考えたら自分の曾祖父は母にとって祖父。実際に会っている。実像を見ているのだ。
その母は最近認知症になった。まだまだ軽いが調子の悪い時は時系列が支離滅裂になる。
今日は調子よく曾祖父の話を少しした。
いつも小綺麗にしていた。
着物のコートを着ていた。
頭がよく、やり手だった。
小遣いを貰った事がない。
などなど、母にとって優しい祖父ではなく遠い存在で、母曰く家がごちゃごちゃしていた、らしい。当時は妾を囲う事は甲斐性のひとつだったから、母の言い方としてそっち系のごちゃごちゃの事だろう。除籍謄本では絶対に出てこない話だ。
子供にとっては意味はわからなくても、触れてはいけないとわかる、そんな空気だったらしい。
祖母を辿った話をしたら、親戚付き合いは全く無かったから分からないと答えた。従兄弟に当たる人が10人くらいいると話すと、何か思い出したのか、あっと言った。
馬喰だった。確か馬喰で財を成してたと。
直接話を聞くと職業や生き方が現れてくる。その時代が生き生きと甦りそう。
最後に実家の1番古い箪笥を再度調べた。
なんと、前回見落とした手帳があった。
手帳は父が若い頃勤めていた会社から支給されたもののようで、昭和30年代から40年前半まで使っていたようだ。そこに知りたい情報の片鱗があった。鳥肌ものだ。手掛かりが見つかった。
他にも旧土地台帳に記された名前と住所もあり、転売先が全くの他人にと言う事ではなく、親戚では?と想像できる内容だった。
大叔父の名前と住所もあったが、この時代はこれで届くのかと思う簡単なもので、ただ「新家」と書いてあり、本家と思っていた大叔父が新家とは?このメモにより自分のイメージに差異が見つかった。
父は数年前の脳梗塞で喋れなくなった。記憶力は今でも良いのに喋れない。もっと早く聞いておけばと後悔する。直接知っているのは叔父だけだ。
コロナは収まっていないが、時間がないので訪ねてみよう。