死について考える【76日目】

今日はこれ朝に書いてます。

朝は頭の回転がよくなるらしいと伺ったのですが、たしかに集中はできるなと感じますね。気温によりますが。夏は暑いせいか、あまり集中力が持たないです。むしろ、今年は雨も多く、夜の方が涼しいので、夜の方が何かと集中できますね。ただ、時間の流れはやはり朝の方が遅く感じます。

と、まぁ、余談はさておき。

でも、余談というよりは、朝早く起きるという生き方も大切じゃないかと考えるわけで。それを死ぬまで続けることを考え、また、年齢を重ねると共に早起きになるという実例は気になるわけで。

ちょっと時間をあけて調べてみました。

年齢と共に睡眠時間が短くなって、早起きにいろいろと拍車がかかってとのこと。活動量の多い若い頃の方が、睡眠時間が多いこと。

若い時の方が、時間が欲しいと思うのに、睡眠時間がないという悲しさ。その分、エネルギーを睡眠で補給して、一気に加速するみたいだが、ゴールテープがない人はどうも辛いであろう。いくら加速してもゴールは見えないし、どこを走っているのかわからないのだから。

自分がどの道を走るのか。目的地はあるのか。それを考えるだけでもかなりメリハリのある生活になるだろう。

さて、死ぬまでに到達したいゴールはいくつかあるはず。それへの道は見えているのか、そのゴールはどのくらい先にあるのかわかるか。道は険しいのか、補助席にはアドバイザーがいるのか。レースドライバーとして一気に加速していくならば、そういうのは気にするものだ。もちろん、トコトコとゆったりした低燃費車で走るのも良い。また、ゴールを定めず、出たとこ勝負みたいな、一期一会を大切にするような、ただただ、放浪の旅に出るような、そういった乗り方もありだろう。

結局はどう生きようとも関係ないのだが、どうせ生きるならば、良い道を歩みたいと私は思う。

綺麗な舗装されたレース用の道を歩くこともひとつの選択だが、険しい岩がゴロゴロした道を歩くのもまた一興。それぞれ求めることも違う。レースでは速さを、険しい岩道では怪我をしないようにゴールすることを。生き方もそうやって道によって歩み方を変えて行けばいいのだ。

死について書いているにもかかわらず、生き方の話になってしまった。これはこれでまた一本記事が書けそうだが。

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