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死について考える【51日目】
ゲームのキャラクターはすぐに死ぬけど、何だかそれが慣れてくると、人生ってどうなんだろうと考えることがある。漫画の中の主人公は死なないけど、死にそうなことはあっても、いや、死んだとしても、生き返る。そんな理不尽なこともあるのが漫画の世界で、ゲームの世界で、エンターテイメントなわけ。
現実ではそんな上手く行かない。実際、死ぬ時は突然だ。私が経験したのは動物に襲われたことだ。後ろからガッと。まったく気が付かなかった。もちろん、命に別状はないけれど、そんな危ない経験というわけではないけれど、本当に何も気が付かなかった。気配すら感じなかったし、音にすら反応できない。
車に轢かれてしまうのは多分突然なのだと思う。動物の速度にさえ反応できない私が車の速度なんかに対応できるはずがない。ましてや、避けようだとか、受け身を取ろうだとか、そんな甘いことはできるはずがないのだ。
飛行機が落下するのだってどうにもできない。突然心臓が痛んだら何もできない。気絶したら何もできない。
そうやって、死は突然にやってくる。そして、人間は本当に何もできない、死に対して。
ちっぽけな、儚い、脆い、それが人間なのだ。
身体でさえそれほどなのだ。実際、心もそうなのだ。社畜などで鬱になる人もいるが、それも同じ原理なのだ。いや、鬱はむしろ徐々にか。それでも徐々にが突然来る。
漫画のようなことは現実では起きないということ。現実は非常に無情であること。
奇跡は本当の奇跡だけが奇跡なのだ。それは100分の1とかそういう数値じゃない。1000兆分の1よりもっと多いのだ。
実際、私たちがこの世に生まれてくるのもそのくらい奇跡的なことなのかもしれない。死ぬことも突然だが、生きはじめも突然だ。突然なだけでなく、それは奇跡だ。その命を、奇跡の命を大切にするのは至極当然のことであろう。だからこそ、自殺を考えている人が多いのはとても残念なことである。日本は世界でもトップで自殺が多いと言う。日本には失望している。
今のうちに英語を勉強するがためというものだ。いつ日本を捨てても良いように。それは心に刻もうと、彫刻刀を持ったまま動いていない私が彫刻の作品だ。