#5子供の目に映る自分を考える
こんにちは、たなかです。
ついに始まった、春休み。
我が家は幼稚園児の子供がいるので、「ついに始まってしまった感」。
去年の夏ごろはコロナがつらすぎてアマゾンファイヤースティックを購入し、ついにテレビがネットにつながったのが運の尽き、子供が一時YOUTUBE中毒みたいになってしまい大反省。
何がそんなに面白いのか、ずっとみてるんですよね。マリカーのプレイ動画とか。それらの動画にはまるのなんて、まだ先のことだと(小学生とか)思っていました。
まったくの無駄とは言いませんが、正直あまり実になるとも言えず、今では一日一時間以内に収めるようにしています。
でもこれは、平日は幼稚園へ行ってくれているし、お休みのときは旦那もいるし、自分の時間が持てるようになってできること。
4月まで毎日、起きている時間の15時間「ママ、ママ、ママ!!」の連続だと思うと、春休み本当に乗り切れるのかな?と、今はただ不安で不安でしかたがないです。
遊び=地獄問題
今日は旦那が仕事のための時間を取りたいと言われ、午後ずーっと子供と過ごしたのですが、子供の遊びって自分が興味を持てないと「地獄」。
もうこの一言に尽きます。
自分も楽しめるものもあります。絵を描くことは好きだし、何かを制作するのも楽しい。
でも、おままごと系は本当に苦手。子供には本当に申し訳ないのですが、本当に苦痛なんです。
でも、そういった遊びも子供の成長には必要ですから、それなりに付き合わないといけません。
本当にしなければならない?
これって呪いでは?
この「~しなければならない」がそもそも自分の首を絞めているような気がします。
性格だと思うのですが、自分に「こうしなくちゃ、こうあるべきだ」って重荷を課して縛る、というパターンがあることに気が付きました。
この特性ってとっても疲れるんですよね。多分軸が自分軸ではなく、他人軸だからなのでしょう。
例えば私にとってこの「一緒に遊ぶ」という意味は「(誘われた内容で)一緒に(楽しく)(子供と向き合って)(何十分も)遊ぶ」ということなんです。一つの簡単な文章に、沢山の呪縛が眠っていますね。
自分で自分を縛るのは、もうやめよう。
朗らかに物事を対応する姿勢を自分も子供も持つためには、もっと緩くとらえてやることも大事なのかもしれませんね。
この春休みは自分にあまり重荷を課さないことにします。
もう染みついてしまっているものなので、無意識でしてしまうこともあると思いますが、もっと心を軽くして物事を見れたらいいですよね。
私の可能性はまだまだある。
子供を通じて、自分のことが見えると育児って奥が深いなと思いました。
それに文章にすると見えていなかったものが見えてきますね。
NOTE初めて良かったです。
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