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「受信料はトイレットペーパー、紅白に異議を唱える資格」
昨晩、NHKの受信料を払った者のみに許された小さな特権について考えていた。
いや、特権と呼ぶには、あまりにも地味で儚い代物だが。
そう、紅白歌合戦の出場アーティストに異議を唱える権利だ。
そもそも、紅白の出場者発表日というのは、日本の国民にとって一種の
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の日だと思う。
まるでスーパーの賞味期限切れ近いパンが半額シールを貼られる瞬間のように、
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と皆が少し首をかしげながら受け止める。
そんな日。
さて、話を戻すと、私は昨夜、今年の出場者リストを見ながら
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と息巻いていた。
だが、その瞬間、脳裏に浮かんだ。
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これ、皆さんは経験あるだろうか。
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を自問自答させられるこの一瞬。
あたかも、家でトイレットペーパーが切れているのに、まだ交換せず粘っている自分を鏡で見つめるような瞬間だ。
何かを得るためには、最低限の支出が必要なのだ。
そこで私は、去年からの滞納分を払った。
いやいや、何かを要求するからにはまず自分が誠意を見せなければ。
これは人生の真理だ。
例えば、会社で上司に
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と頼む際、自分の机の周りがぐちゃぐちゃだったら、それだけで却下される。
人間、他人に注文をつける前に自分を整えないといけない。
ちなみに、受信料を払う行為というのは、ほぼトイレットペーパーを買い足す感覚と似ている。
なぜなら、
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だからだ。
トイレットペーパーを買っても誰も褒めてくれないし、
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とも言われない。
だが、ないと大変なことになる。
それと同じで、受信料を払わないと何か社会的に後ろめたさを感じる。
そして支払いを終えた私は堂々と、NHK紅白の出場アーティストリストを再び眺めた。
支払い済みの私には、もう誰にも文句を言わせない正当性がある。私は声高に主張する。
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しかし、ここで奇妙な現象が起きた。
実際に受信料を払った途端、自分の意見が急にしぼんでいくのを感じたのだ。
いや、正確には、意見そのものではなく、自分の声のトーンが下がる。
まるで、深夜3時に冷蔵庫を開けて食べるプリンを
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で食べるような、静かな満足感。
このとき思ったのだ。
もしかしたら、受信料を払う行為とは、文句を言う権利ではなく、自分を納得させるためのチケットなのではないか、と。
紅白歌合戦の出場者リストを見ていると、毎年どこか
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を感じる。
新しい音楽もあれば、懐かしい顔ぶれもあり、なんなら
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という驚きもある。
その全てが、あの年末の慌ただしさを象徴している。
私たちの生活もまた、トイレットペーパーのような地味な支払いに支えられながら、年末へと駆け抜けていく。
紅白を眺めつつ、せめて新しい年には、ちょっとテンションの上がる買い物をしたいものだ。
例えば、柄付きのトイレットペーパーとか。
fin.