三井高利のマーケティング

売り手 喜び 買い手 喜ぶ

「大江戸コンサルティング物語」ディレクターズ・カット版、如何でしたか?

(正しい伊勢弁でしたか?三重県の方々からの感想をお待ちしています)

コンパクトな物語でしたから、一読するだけでは、

「なぁんだ。新商法(新しい販売方法)を考え出したダケか」

と誤解されるかも知れませんので、付け加えておきますと、

1)元禄文化が花咲くことにより生まれた町人という新しい顧客に目をつけた

2)町人(顧客。ターゲット)が集まる場所に新店を開いた

3)顧客が買いやすい販売体制を布いた

4)顧客のためなら、業界の禁(切り売り)さえ破った(業界から脅迫された)

5)商人でありながら、顧客にとって魅力ある商品を設計し、製造元を開発した

の五点が白眉だったと筆者は分析しています。顧客を軸にした戦略ですね。


筆者が提唱する付加価値マーケティングの

1)誰に(町人に)

2)何を(高くて当たり前だった反物を)

3)どうやって売る(切り売り現銀かけ値なし)

の三点です。特に、

5)商人でありながら、顧客にとって魅力ある商品を設計し、製造元を開発した

は、現代のユニクロを彷彿とさせますね。小売店でありながら、(ファブレス=工場を持たない)メーカーも兼ねてしまう、製造小売業です。


製造小売業(SPA)というと、80年代のGAPが嚆矢のように語られがちですが、

日本には、和菓子屋さんや豆腐屋さん等、製販在(PSI)を兼ねる業態が昔からあったように、

GAPと同じ衣料品販売においても、越後屋(三井)が350年前に創始していたのでした。まさに

『マーケティングの起源は三井にあり』

さすがはドラッガー教授の研究です。

三井殊法のマーケティング

負け惜しみではありませんが、筆者が考えるマーケティングの祖は、三井高利というよりも、

高利の実母、殊法(しゅほう。伊勢の豪商・永井家の娘。俗名不詳)です。

事実、高利の三男(殊法の孫)である高治が書いた商売記には、

「三井家の商いの元祖は(父の高利ではなく、祖母の)殊法なり」

と書かれています。


長男の高平が書いた家伝書にも、

「この人 女には また比類なく」「父の高利が、お店を継げたのは、祖母のお陰」

と書かれています。ちなみに、世界に先駆け、300年も前に、ホールディングスの原型(大元方)を制度化したのは、高平(三井家初代当主)

彼らは、孫という近い距離から、父と祖母の日常会話を耳にしていたのでは?

薄利多売を考え出したのも(高利ではなく)殊法という説がありますし、

家業の質屋の利息を、低く抑えて得意客を増やし、家業を、貸付(金融)まで広げたのも殊法でした。

そう考えれば、高利が松坂から江戸へ出ず、東京の長男(高平)へ手紙で指示していたのも頷けます。


確かに手紙は高利からのものであったにしても、その内容は、殊法のアイデアだった可能性があります。

その意味で「大江戸コンサルティング物語」の主人公「私」のモデルは、殊法でしたが(ネタばらし)

だったら、いっそ、女性コンサルタントとして、際立させたほうが、キャラが立って面白かったかも知れませんね。

「私、失敗しませんので」とか(ドクターXの米倉涼子みたいに)

そうすると、キャラ作りのエピソードを盛り込むために、二倍のボリュームになりそうですが

それと、コンルタントが過去へ行った一方通行だけになり、じつは、過去から来たコンサルタント(殊法)が、過去へと戻るダブル・タイムスリップだったプロットを省いてしまいました。

そこまで盛り込むと、もはやブログでは済まされない、三倍のボリュームになりそうですが

口コミするのはお客様

松坂の店舗を実質的に経営していたのは殊法であり、松坂で、高利に、商売を教えたのも殊法ですから、

ドラッガー教授のいうマーケティングの祖は、表向きには三井高利ですが、陰に「殊法あり」(まさしく、コンサルタント)だったと筆者は考えています。

殊法の考え方と、マーケティングには、顧客という共通点があります。

今でも、商品と代金を交換する取引が、商売のように思われていますが(厳密には、それは、販売)

殊法の考え方は「お客様から喜ばれ、自分も喜ぶこと」が商売だったようで、

たとえば、幼い頃の高利と一緒に、道を歩いていて、道端に、すり切れたワラ草履が脱ぎ捨ててあるのを見ると、

「たらっといな(拾ってきなさい)」

と命じたそうです。高利が、

「こんなゴミ、どうするんだろう?」

と不思議に思っていると、壁を塗り直している近所の家へ持って行き、左官へ差し上げたそうです。


当時は(今でも)土壁の材料は、すさ(わら)ですから、すり切れた藁草履は壁の材料になります。

とうぜん、施主や左官から喜ばれます。

お客さんでも何でもない施主や左官に喜ばれたって、直接、商売には無関係なような気もしますが、商店は、地域性が強いため、こうして、

「酒や味噌を買うなら、三井の酒屋から買おう」

と口コミで広がり、商売が繁盛する仕掛け。

現代と何ら変わりありませんよね。バイラル・マーケティングというやつです。

お金様は、口コミしてくれませんが、お客様は、口コミしてくれます。

越後屋の傘

売りまくって利益を増やすことだけが商売ではなく、お客さんが喜ぶことなら、タダどころか、経費を払ってでもやる殊法の考え方は、傘にも表れています。

高平の越後屋では、雨の日に、店名が入った傘を、無料で貸し出しました。

雨の日になると、越後屋の傘が往来に花咲き、晴れた日には、借りた家々が傘を広げて干しますから、否が応でも越後屋の三文字が目に触れます。

それを今では、優れた広告戦略と評する方々もいるようですが、おそらく純粋

「来店したお客さんが、雨に濡れずに帰れるように」

との心くばりで貸し出したのでしょう。


現在、傘の無料貸し出しは、全国の商店や、自治体で広く行われています。

傘の返却率は、50%以下だそうです。2本に1本は戻ってこない計算になります。

その返却率に「モラルが低い」と人倫を問う声もあるようですが、貸出しとはいえ、無料にするならば、最初から返却を期待せずに貸し出すほうが、無料の主旨に適っています。

返却を望むなら、デポジット(預かり金)制にすればよいのです。

傘が減ったら、なけなしの予算で補充するのではなく、預かったデポで新しい傘を補充すればいいだけです。

要は、何のために貸し出すか?ということです。


広告として考えるならば、傘代は、宣伝費に相当します。

しかし「広告を見たら、宣伝費を払え」という企業がドコにあるでしょう。

貸し傘を宣伝と考えるならば、借りた傘を返さなければモラルに欠けると非難するのは、お門違いということになります。

販売促進も然り。

試食キャンペーンで食べたサンプルを「吐き出せ」という企業がドコにありましょう。

そう考えると、デポジットなしの無料で貸し出すならば、返却を期待するのは性善すぎます。


現実に、図書館で、本を盗んだ主婦が「盗んでいない。本が、勝手に、カバンの中に入っていた」と主張するモンスターさえいるくらいです。

返してもらいたいなら、有料で。

返さなくてもいいのなら、無料で。

傘にしても図書館の本にしても、地方公共団体の役務として考えるのではなく、マーケティングのプロモーションとして考えれば、そういう発想になります。

儲けるだけが商売ではないことを、まだマーケティングが無かった頃の殊法は教えてくれています。

売りて悦び、買いて悦ぶ

また、倹約家で有名だった殊法ですが、来客には惜しげもなく、タバコや茶や食事までも提供したそうです。

もちろん、口コミを狙ったのでしょうけれども、売るだけが商売ではないことを知っていたのでしょう。

「人様から喜ばれ、自分も喜ぶこと」が商売だから

「売りて悦び、買いて悦ぶ」

(売ることに悦びを覚えなさい。お客様からも買って悦ばれるようにしなさい)

という言葉を彼女は残したのではないでしょうか。

お客様からも悦ばれるには?

自分の懐を肥やすのみならず、わら草履やタバコや茶を差し上げることです。

わら草履はタダですから、タダで済むものを差し上げましょう。


タダで済むものとは?

感謝の言葉です。感謝して、頭を下げることです。

気づかうことです。ねぎらうことです。励ますことです。称えることです。

これ即ち、プラスのストローク。

タダで済まないものとは?

店舗なら、傘を貸し出すことです。

タバコや茶や食事に代わるものを差し上げることです。

(経費が惜しいって?350年前の日本人女性が、やっていたことですよ?)

夏のBtoB営業なら、アイスクリームの一つでも持参することです。


冬なら、たこ焼きの一つでも持参することです。

ただし、洗い物が出ないもの(女性社員の手を煩わせないもの)であること。

お客さんは、ちゃんと見ているものです。

自分の懐だけを肥やしたい(付き合いたくない)我利我利亡者なのか?

自分の懐を痛めるかどうか関係なく、気くばりしてくれるのか?

気くばりされると、嬉しいものです。「この人から買おう」と思うものです。

これ即ち、

「売り手 喜び 買い手 喜ぶ」(原案/三井殊法  編集/小笠原昭治)


大江戸コンサルティング物語/前編

https://note.com/tanaka4040/n/na6c24799fcc1

大江戸コンサルティング物語/後編

https://note.com/tanaka4040/n/n341f46337205


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