三国志2-part1
三国志をメタファーにマーケティングと経営を主題に創作された物語です。
物語の背景
3つの国が大陸を割拠していた時代。勢い盛んな建国の頃こそ3つの国は武力に頼んで覇権を争い、互いの領土を侵犯し合っていた。
が、果てしのない殺戮に兵は減り、略奪の日々に民は疲れ、武力を嫌う雰囲気が広がって世の中が安定してくると、国力の中心は経済へと移行していった。
最初は、もの作りに優れた工の国が栄えた。
木は、木のままでは商品にならない。箸に加工されて、はじめて商品としての価値を帯びる。その加工技術に、工の国は長けていた。
匠が作り出す加工品を求め、工の国の門前には、連日のように人々が長蛇の列を為していた。
工の国の人々は思った。「作れば売れる。何でも売れる。黙っていても売れる」
しかし、物品が行き渡るようになると、次第に売れなくなった。今では誰しもが箸を持っている。新しい箸は要らない。売れなくなるのは自明の理であった。
そこへ、追い討ちをかけるように、商の国が勃興してきた。
商の国は、屋根のような山脈を越えた異国の地から商品を仕入れて来て売っていた。
工の国では不可能な低価格の商品を、はたまた、工の国では考えつかない先端の商品を、さらには、工の国では有り得ない贅沢品を仕入れてきては売った。
自然、工の国は衰退し、商の国が最も栄えるようになった。
3つの国のうち、悲惨なのが農の国であった。武力闘争の頃と何も変わらない農林水産業のみ国策とし、商品経済から独り背を向け、自給自足に近い共産を守っていた。
しかしながら、限界がきた。きやびやかな商品経済の発展を目の当たりにした農の民は農地を捨て、海を捨て、山を捨て、商や工の国へと移転していった。
なかには、商品の代金を払えずに、自分の農地を商の国の商人へ売り払って、商人の小作人へ成り下がり、昨日まで地主であった農地を耕す民まで現れた。
農の王は焦った。このままでは、権利という化け物に土地を奪われ続け、終いには一寸の領土も失い、国は滅びてしまう。
そこで農王は、「どうすれば栄えられるのか?」と訊ねる使者を、恥も外聞もなく、商の国へ送った。
すると、商の国から、1人の和尚が遣わされて来た。喜ぶ農王をよそに和尚は、
「自分のことしか考えられない意識だからダメなのです。それを我利我利亡者といい、昔から忌み嫌われている。王よ、それが今のあなたです」
と言い放った。
農王は怒った。しかし、怒りを収め「わかった」と理解し、今後、どうすれば良いか、和尚に尋ねた。
和尚は暴言を詫びたうえで秘策を残し農の国をあとにした。その秘策とは?
3枚の半紙
商の国の和尚は、黒々と墨書された3枚の半紙を残していった。半紙にはそれぞれ3通の手紙が添えられていた。
3枚の半紙を前に、農王は腕組みしたまま沈黙していた。
「是什公意思?(どういう意味だ?)」
そばに控えていた大臣が、すかさず、
「清給我看(見せて下さい)」
と立ち上がった。見ると一枚目には
『客観営為』
と書かれてあった。
「きゃっかんエーイ?」
大臣は首をひねった。
「是什公意思?(どういう意味でしょうね?)」
農王は呆れたように、
「それを聞いておるのだ!お前が逆に訊いてどうする!」
と一喝した。大臣は恐縮しつつ「失礼了(ははあ~)」と引き下がっていった。
二枚目にも四文字の漢字が書かれてあった。
三枚目にも四文字の漢字が書かれてあった。
ついに農王は腕組みを解き、一通目の手紙に手を伸ばした。
手紙には、次のように書かれてあった。
客観営為
客観営為とは、『客の観点で営みを為す』、すなわち、お金を払う人の視点で営むこと。
作りたい者が作りたい物を勝手に作るのではなく、買いたい者が買いたい物を買えるように作ってあげること。これすなわち、心配り哉。
たとえば、私(和尚)が農の国に入ったとき、哈密瓜(メロン)を作っている農家を見かけ、
「どうしてメロンを作っているのですか?」
と訊ねたところ、「生活の糧にするためです」との答えが返ってきました。
「ということは、自分のためにメロンを作っているのですか?」
と重ねて訊ねたところ、そうだと言う。さらに、
「いい香りですね。メロンの香りには、どんなアロマ効果があるのですか?」
と聞いても首を振るばかり。重ねて、
「メロンはどこから来て、いつから栽培されているのですか?」
「メロンを食べると、どんな良いことがあるのですか?」
「メロンは、どんな時に食べられていますか?」
「どんな色形のメロンが食べたいか、客に訊いたことがありますか?」
と、何を聞いても首を振るばかり。ただ一つだけ、
「メロンを買うのは誰ですか?」
と訊ねた時だけは即座に「商の国の商人たちです」と答えました。
誰のために作るのか
その一言に「買うのは業者であって客ではない」=客の顔が見えていない現状が凝縮されていました。
確かに、商人が買ってくれればお金になります。しかし、食べるのは商人じゃない、最終的にお金を払って買うお客さんです。
そのお客さんが見えていないということは、貴国では、お客さんが望む農作物を作っていないことになりますが、違いますか?
それに商人は、大量かつ継続して売れないとなると、取引を中止します。商人に頼るのは危険というのではありません、売り先は他にもあるはず。
日々それを探していますか?
しかし、お客さんの顔が見えていないのですから、どうすれば買いたくなるか売り方を知らないはず。
お客さんが望む農作物の作り方も知らない、売り方も知らない……その結果が現在の貴国の窮状。
知らなければ、知ればよいし、知ったら、やればよい。
しかし、その方法、中間管理職たる臣さえ知らず、指導者たる王さえ知らず。
これでは、民が知ろうとしても、知るすべ無し。いずれ、賢い民から先に去りゆくは言うに及ばず。
いま一度、お金を払ってくれるのはお客さんである単純な事実を直視し、全ての体制を「お客さんの為に」へと作り変えては如何?
古くから言い伝えられている通り、情けは人の為ならず、人様の為が自分の為。お客さんの為に営むことが、金銭という自分のためになって返ってきます。
ただただ、お客さんのために美味しい農作物を作って下さい。それは品質のみ指すことではないことが、お客さんの顔が見えたときに分るはず。
『客観営為』これを蛮夷ではマーケティングと呼んでいます。
顧客の視点で営みを為す国になったとき、貴国は繁栄への階段を駆けあがるに違いありません。
[農の国の農王へ宛てて] ...........[商の国の和尚より] 合掌
三国志2-part2 へ続く
https://note.com/tanaka4040/n/nc265f749d101