価値論>心距離の環(しんきょりのわ)
灯台下暗し
はるか海の先を照らす灯台の真下は暗い。これを喩えて、身近だからかえって気づきにくいことを「灯台下暗し」という。
しかし、灯台の下は常に暗くはない。昼は、明るい。つまり「灯台下暗し」は夜に限っての喩えであって、昼には通じない。
変化ではなく変幻としたのは、幻の如く無に帰する価値もあるし、幻のような無の中から生まれ出ずる価値もあるため。
価値は、いつも同じとは限らない。昼間の灯台は無用の長物で、価値はゼロに等しい。昼の灯台の下は明るい。ことわざにすら使えない。
しかし、夜間を航行する船にとって灯台は、今も昔も、無くてはならない存在であり、その価値は、船舶と乗組員の命をも左右する。事実、開国前の日本の海はDark Sea(暗い海)と呼ばれ、波頭を蹴って遠洋を航行して来る諸外国の船から恐れられた。
「灯台下暗し」は、
夜に
埼で
雨が降らない場合
に有効な灯台を用いてTPOの価値変幻を一言で表していることわざである。
TPO付加価値
これ(TPO価値変幻)を軸に付加価値を考えるとしたら、
1 時間を変えてみる
→昼より夜の患者が多いオフィス街の歯科医院のように、時間帯を変えることで需要を高められないか考えてみよう。
2 場所を変えてみる
→典型的な貿易の他に実例を一つ。
10年以上前に関東以北で関西風のうどんを食べるのは困難だった(筆者は恵比寿のうどん店しか知らなかった)が、ここ数年間に関西風のうどんが東京に定着し始め、気軽に安価で讃岐うどんを楽しめるようになった。
火付け人は、わずか7年前(2001年)に香川で開店し、6年前に東京へ進出したはなまるうどん。店舗数は全国に現在200店強。売上高148億円。
関西では馴染みの深い伝統の讃岐うどんも、21世紀になるまで、首都圏でさえ気軽に食べられなかったのである。このように、場所を変えることで、需要を喚起できないか考えてみよう。
3 場合を変えてみる
→筆者の体験談で恐縮だが、あるアンテナショップのプロモーション企画にて、そのショップが無音であったことから、「ホテルで流れているような雰囲気のBGMを流したらどうか?」と提案したところ、来店客の滞在時間が長くなり、若干、売上が伸びたらしい。
音楽があるか?無いか?だけで売上を左右するのである。他にも細かい「場合」を変えられないか考えてみよう。
価値の再確認
以上、TPOを軸にした価値変幻の付加価値を3つ示してみたが、どれも画期的なことではなく、ありきたりの細かいことばかりであることをご理解いただけると思う。
むろん、あなたにも見つけられる。もし見つからないとしたら、見逃しているに過ぎない。隣の芝生を見ても見つからない、あなたにとって価値ある芝生は、あなたの足元にある。
しかし、夜の灯台のように、自らの足元は見えない。そんな時は他の誰かから足元を照らしてもらうしかない。それは、同じ灯台同士だから照らし処が分る。
または、夜を昼の状態にすることだ。太陽が昇れば、足元は見える。それには、夜と昼が真逆なように、あなたの業界ではない人に相談すると良い。
同業と非同業のニ方向から価値を再確認してみよう。今まで見えなかった価値が見えてくるかもしれない。
さて、価値の変幻はTPO(time, place, occasion)のみならず、心における距離の環状によっても変幻する。
これを「心距離の環(しんきょりノわ)」という。
心距離の環(しんきょりのわ)
静まり返った水面に小石を落とすと、波紋が環状に広がるように、人は自分を中心に、環状の波紋のなかに価値と人を配置している。人は、今回は、措く。
価値は、遠い輪ほど大きく、大きいため、よく分る。
価値は、近い輪ほど小さく、小さいため、分りにくい特性がある。
本の著者に会ったことのある人ならば理解しやすいと思うが、会うまでは巨人のように大きなイメージだったのに、会ってみると、膨らんでいた印象が窄み、小さくなってしまうことがあるだろう。
これは、身近になったことにより、警戒や憧憬といった虚像と共に価値が親近へと変質したタメである。
他にも、たとえば、こんな経験はないだろうか?
A市に住んでいた頃は一度も行ったことのないA市を代表する景勝地に、B市へ引っ越してから初めて行ったような経験が。
そこに住んでいるうちは分らない。そこから離れてみて見える価値がある。
蛇足だが、夫婦にも当てはまる。夜空を焦がす火焔のごとき熱恋を経たのちに結婚したものの、身近になることで、あれほど認めた相手の価値も、憧憬と共に消え失せてしまうことがあるだろう。
皮肉なことに、失われたときに気づく。
以上のように、価値は、遠いと大きく、近いと小さい。手の届かない宝石には大きな価値があるが、手の届いてしまった宝石の価値はそれほどでもなくなる。
そしてそれは、近ければ近いほど本人には分らない。慣れすぎて、誰かに指摘してもらわなければ分らないものである。強みも同じ。
無限プチプチは、近くて小さな価値を再確認できる人が考え出したに違いない。