戦略核-中編

顧客対応

有名な都市伝説につき、ご存知の方も多いであろう。

高級車のロールスロイスで砂漠を横断する旅に出ていたところ、あまりの暑さにロールスロイスが故障。

無線で救援を求めると、輸送機で、新車のロールスロイスが空輸されてきた。

新車に乗り換えて、無事に砂漠を横断し終えてから、ロールスロイス社へ連絡すると、
「そのような事実は報告されておりません」
とのこと。なぜなら、

「ロールスロイスは故障しませんので」

都市伝説なので、どこまで本当か分らない(というより作り話に違いない)が、心憎い顧客対応ではなかろうか。

このような対応例は、マーケティングの教科書に載る企業(ノードストロームやディズニーリゾート)にもある。


ノードストロームはタイヤの話。

百貨店のノードストロームにタイヤを返品しにきた客がいた。

ノードストロームは快く返品に応じた。

タイヤを売っていないにもかかわらず。


この話は、ノードストロームの社員でさえ、聞いたことがないという。それもそのはず、米国のコンサルタントのトム・ピータースが、「お客様を疑わないのがポリシーのノードストロームなら、そうするに違いない」と、講演などで言い広めた想像上の話。


ディズニーリゾートはアイスクリームの話。

子供がアイスクリームを持ってビッグサンダーマウンテンに乗ろうとしたので、親は、
「アイスクリームを持ったままジェットコースターには乗れない」

と子供へ言い聞かせても、子供は「乗りたい!乗りたい」と泣き叫ぶばかり。

そこへ、ディズニーのスタッフが「アイスクリームを、持っていましょうか?」
と声をかけた。

子供は、スタッフにアイスクリームを預けてジェットコースターに乗り込んだ。

乗り終えてきた子供にスタッフは「はい。ちゃんと持ってましたよ」とアイスクリームを返した。

帰り道、とつぜん思い出したように親は「あっ!」と声を挙げた。

「待っている間にアイスクリームは溶けて無くなっていたハズだ。ということは、ディズニーのスタッフは新しいアイスクリームを買って待っていてくれたんだ」

第一と第二の戦略核

このような神話は、むろん、作り話に違いないし、真似しようにもカンタンに真似できない。

が、ここで、見逃されがちな大切なことは、こうした会社には、

「あの会社なら、そのように対応してもおかしくない」

と思わせる規範があること。その対応規範が明文化され、従業員の隅々まで行き渡っていること。

では、あなたの会社には、顧客へ対する対応規範があるだろうか?

あっても、不文律のままでは伝わらないため、明文化する必要があろう。

無いとしたら作らなければならないし、あるとしたら、その対応規範を社内の壁に掲げておくのみならず、顧客へ対する約束に翻訳して、社外へ宣言しようというのが、第二の戦略核であった。


第二の戦略核があるだけで、あなたの会社は、

       真似しようともカンタンに真似されない顧客対応

のできる唯一無二の会社になれる。もしかしたら、あなたの会社が主人公の神話が生まれるかもしれない。

たとえ、従業員の隅々まで行き渡っていなくてもいい。言葉に出して宣言してしまえば、守らざるを得ない。

仮に対応規範を「知らない」または「破った」としたら、お客さんの方から、
「言ってることと、やってることが、違うんじゃないの?」
と指摘されるであろう。これ即ち信用失墜。

そうなると、社としての対応規範を「知りません」では済まされなくなる、
それには「当社はこのように対応します」と顧客へ宣言するだけでいい。

以上が第二の戦略核。


戦略核は四つある。第一の戦略核は、優位性と差異性と利便性の三連鎖。

「当社には、このような優位性があり、それは、競合と、このように違うため、当社から買うことによって、あなたは、このようなメリットを得られます」

との三段論法により唯一独自性を提示すること。以上の第一と第二の戦略核について前編で述べた。

余話

対応規範という言葉は、ない。筆者の造語である。一般には、もっと広い意味で「行動規範」と呼ばれる

行動規範といえば、ラジオから面白い話が流れていた。

リスナーの本音をぶつけるコーナーで、

「○×会社のトラックに言いたい!こっちが車線変更しようとしたら、車線に入れないどころか、嫌がらせに幅寄せしてきやがって!
○×会社の商品なんか、絶ッ対ェに買うもんか!」

あー、わかる!わかる!と首肯しきりの方も多いであろう、こんなことで「買わない理由」が決定的になることもある。それが現実。


こうなっては、どんなに高度なマーケティング戦略を取り入れようとも、ムダ。マーケティング以前の問題である。

マーケティング戦略を取り入れる前に、戦略の核となる心構えが如何に大事か教えてくれる、リスナーの本音であった。

もう一つ、10年前の東芝事件を覚えているだろうか?

東芝製品を購入したユーザーが、修理について問い合せた電話(会話)の一部始終を録音し、インターネットへ公開したことで、東芝の暴力団まがいの応対が社会問題になった事件である。

「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ。クレーマーっちゅうのお宅さんはね。クレーマーっちゅうの」(録音された会話)

このユーザーは、後に別件で逮捕されるに至るため、本物のクレーマーだったのかも知れないが、それにしても、東芝の対応には背筋が凍る。


東芝ほどの大企業ならば、マーケティングに精通していたであろう。グループ内に、東芝マーケティングコンサルタントというコンサルティング会社があるほどである。

ここにマーケティングの落とし穴がある。マーケティングは、輸入された理論であり、ツールであるため、心がない。

それが悪いとは言わない。かえってドライで良いかも知れない。それでいいかどうか決めるのは個々の自由である。

一方、筆者が提唱する付加価値マーケティングは「お客さんは人である」との基本に立脚するため、戦略以前の心構えである戦略核を重視する。

戦略核という心なくして、マーケティング戦略は成り立たないと断言しよう。

前述のノードストロームやディズニーリゾートには、心がある。心があるからマーケティング戦略が奏功するのであろう。

心ある顧客対応は、感動を呼ぶ。
これが、感動マーケティングと呼ばれるのかも知れない。

戦略核-後編へ続く

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