顧客が嫌いな10の言い訳『前編』

商取引の前中後

「来て、買って、居て」

店舗のマーケティングは、買ってもらうよりも、来てもらうことに全力を注ぐよう以前に述べました。

なぜなら、来店した時点で、商取引が成立する確率は格段に高まるからです。

その確率は、商品や店舗へ対する関与度によって異なるにしても、企業間取引と比較すれば、来社=売買の成立という僥倖は有り得ないほどに高確率。

わかりやすくいえば、来店=契約が店舗の優位性です。

売買の成立(契約)を前提に来店してくれるのである。よって、買うより先にまず、来てもらうこと。そこに力を注ぐ。ということは、

1)来店

2)売買

3)滞在

のメッセージは異なる場所で、異なる手法で、異なる文言で発信されなければならないことがわかります。


一方の企業間取引は(三段階ではなく)五段階あり、

1)告知
2)発掘
3)発見
4)解決
を経、
5)売買

へ至ります。売買という契約へ至るには、お金と商品を交換する前工程があります。

つまり、BtoCとBtoBにかかわらず、商売(商取引)は、お金と商品を交換する「商取引中」の前後があり、過去・現在・未来の約束は時間軸で連続しています。

商取引[前中後]の一貫性

時間軸で連続した商取引の前中後が一貫していてこそ商取引は成り立ちます。

つまり、商取引の約束事には 一 貫 性 が なければなりません。

商取引は、10円の仕入れ値を隠して100円で売るため、だまし・だまされやすい性格を帯びています。

100円の値札がついた商品をレジへ持っていったら、「1万円です」と言われるなど荒唐無稽。

「100円で売ります」との約束を公言したら100円以下で売らなければならないことなど幼稚園児にも分かる話です。


しかし、10万円の見積書が、100万円の請求書に化けることなど日常茶飯事。

買う側にしてみれば「100万円なんて聞いていない」

売る側にしてみれば「いろいろな変更がありました」

見積書という取引前と、請求書という取引後が、取引中に一貫しなくなったために起こりやすい水掛け論。
あとは「代金を払え」「払わん」の押し問答になります。まるで子供の喧嘩、大人のすることでしょう

個人的な嗜好を持ち出して恐縮ながら、好きな小説家の貴志祐介/著「歪んだ箱」から一例を。(まだ未読な方々のために過度の脚色を御容赦あれ)


主人公「歪んだ欠陥住宅を建てるなんて、ひどいじゃないか」

工務店「欠陥住宅じゃない、地震で歪んだ。天災を当社の責任にしないでくれ」

主人公「震度4程度で家が歪むか?基礎が水増しコンクリートだからだ」

工務店「ちゃんと法令に則って建てた。問題も責任もない。残金を払ってくれ」

主人公「冗談じゃない、前渡し金を返せ」

工務店「残金を払ってくれたら、無料で補修工事してやる」

主人公「欠陥住宅を建てておいて、なにを寝ぼけたことを」


こうして密室殺人事件が起きるのです、これは小説の話。

目的に沿った一貫性が失われると、商取引による相互幸福は瓦解します。

一貫性の失われる瞬間

一貫性の失われる瞬間が「言い訳」です。言い訳とは、筋道を立てて説明すること(Yahoo辞書より)。

このように「言い訳」には二つの意味があります。

つまり、言い訳する側は、物事の筋道を説明していると思っていますが、言い訳される側は、弁解だと思って聞いています。

片や、正当な説明。片や、不当な弁明。説と弁の一字違いで、天と地の開きが生まれます。

天地の開きとは「あなた買う人。わたし売る人。あなたと私は違う人」という立場の違いが鮮明になり、商品を通じた価値の共有によって喜び合うなど画餅に終わります。

平たくいえば、顧客の立場で考えるなど無理で、とてものこと、顧客満足など覚束きません。


要するに、言い訳は、顧客満足の障害となる。

そこで、前号の分類を思い出して頂きたい。あなたが飲食店で、

「大盛りにして下さい」
と要請したとき、

「できません!」
と言われたとしましょう。

一般的な顧客は、心の中で「少し大目に盛ってくれるだけでいいのに」と思いつつ、何も言わず、飲食店が作ったルールに従って諦めます。

諦められなければ(関与度が高ければ)「なんで?なんで、できないの?」と問います。その返答はだいたい、

1)規則優先型「それが当店の規則です」「そんなメニューありません」

2)事情説明型「大盛り用の什器を用意していません」「材料が足りません」

3)問答無用型「できないものは、できません」「ムチャ言わないで下さい」

果たして、これは、言い訳でしょうか?

できない理由に価値はある?

二つの見方がある。飲食店サイドに立てば、

「そういう規則です。そういう事情です。そういうものです」

と、物事の筋道を説明するでしょう。

一方の顧客サイドに立てば、できない理由の弁解に過ぎません。

片や、正当な説明だと思っていますし、片や、不当な弁解だと思っています。

どちらが正しいとか誤っているというレベルの問題ではなく、これでは、顧客満足など、お題目に終わること間違いありません。

「要らざる顧客」が相手であれば、言い訳ではないでしょう。物事の筋道を説明し、理解が得られなければ、他へ行ってもらえばいいだけの話。

しかし「要る顧客」が相手となると、立派な言い訳になります。


その顧客が欲しいのならば(再度利用してもらいたければ)
「大盛りにして下さい」

と要請されたときの正解は
「できません!」ではなく

「できるようにしてみます」でしょう。

できない理由に価値はないように「要る顧客」に言い訳は通じません。

そこで、後編にて『顧客が嫌いな10の言い訳』を挙げます。読み終わったあと三つの立場で考えてみて下さい。

1)あなたが何かを買う(買った)とき

2)あなたが何かを売る(売った)とき

3)言い訳は顧客満足を高められるかどうか、両者の立場で客観的に

自分以外の目で見たとき、いつも目の前にある見慣れたものが全く別の光彩を放つことに気づくでしょう。


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