「個人的には」が禁止ワードの会社の話
前職で学んだことの棚卸しをしていきます。
大事な文化だったなと思うので、忘れないうちに。
会社に個人的な意見はいらない
2年前、マネージャー会議の議事録を担当していました。
その会議では、社内のマネージャー以上のメンバーが集まり、会社の人事に関することや経営企画的な内容をメインに議題に、会議を行っていました。
「個人的には…」
ひとりのマネージャーからその言葉が出た時、社長が言ったのは
「個人的な意見をいうマネージャーはいらない」
このとき突然言われたワケではなく、日々言われていたことです。
なので誰も理不尽には思っていないのですが、それでも一瞬空気はピリつくくらいのトーンでした。
理由は「会社に個人的な意見はいらない」からでした。
「個人的」の言葉が持つ魔力
「個人的には、〜〜だと思うんですよね」
みたいな発言は、きっとほとんどの日本人がしていると思います。
たぶん、使う意図としては、「個人的な意見だから違ったら無視してください」というような気持ちがこもっている。
もしくは、「自分としてはこっちがよかったんだけどね」的な、決まったあとの苦し紛れ捨てゼリフ。
「個人的」という言葉には、責任を放棄する気持ちが現れています。
前の職場はベンチャーだったこともあり、みんなで会社をつくるという想いから、
個人的な意見ではなく会社をつくっていく1人としての意見を求められていました。
組織の主体者は、組織のためにすべきことを考え発言するのであり、そうであれば自信がなくてもいいので「個人的な」という逃げの枕詞は必要ない。
使う言葉を選ぶことの意味
たぶんこの話は、人によってはただの言葉狩りだと思うのかもしれません。
ただ私は使う言葉を選ぶことで、意志力が上げたり、思考のスイッチが切り替えたりする、ポジティブなものと捉えています。
仕事が、選ぶ言葉によって売り上げに影響があったり、顧客と対面しないものだったことも強く影響していたと思います。
ひとつひとつの言葉の取り扱いで、どう仕事に向き合っているかがわかる。
「個人的な」という言葉だけでなく、どんな場面でどんな言葉を使うかが重要な職場でした。
組織や顧客のためにすべきと思っていることはなにか。
それは個人的になんとなく思うことではなく、現場を見て相手の気持ちを知り、そのうえ考えて思うこと。
だからこそ、意見を言うだけでなくやり遂げる覚悟を言葉に込める必要がありました。
意志力は言葉に宿る
「別にそんな意図で個人的なって言っているわけではない」
そういう人も、本当に顧客や組織のためを考え抜けているかを問うと、自信がないと思います。
「個人的」を禁止する意図は、その言葉を使いそうになったときに、一瞬立ち止まり思考を深めさせることにもあります。
いままで無意識だったことに意識をつける。
それだけで、動きが大きく変わるはずだと信じています。
だからこそ、私的なこと以外には個人的な発言はしない。