感覚派は理論派になれる?
私は"超"がつく感覚派だ。
というか、今までの人生、"何で?"とか、"どうして?"とか、所謂5W1Hってやつを考えたことがなかった。
感覚派というよりも、何にも考えてこなかったという方が近いかもしれないな。
何かに対して考えるって癖がないのかも。
好きなことに理由なんてあるの?ただなんとなく好きなんだもん、そういうもんでしょって。
「田中さんもこの小鉢とったんだ?!これ美味しいね、ツナかな?」
「あ、すみません。もう食べちゃったんでわかりません…。」(←美味しければ、それでいい)
とか、
「愛の不時着みた?!あれめっちゃ好きだったけど、最後が納得いかなかったぁ〜一年でたった2週間しか会えないなんて切なすぎるじゃん…」
「え、そうだっけ?!(そもそもラストそんなんだっけ?)」(←とりあえずハッピーエンドでよかった〜くらいしか思ってない)
とか。
こういうことがザラ。
うちの会社は、自分が一年やったことを自分で書いて評価されるんだけど、
とにかく論理的に自分がやったことの表現だけ上手い人っていて。大企業だと上司も部下一人一人が何やってるかなんてほとんど把握してないから結局自分の実績を表現するの上手い人が評価されて。こっちからしたら、仕事遅いじゃん!全然仕事量こなしてないじゃん!って人でも、一つのことを論理的に上手く表現さえすれば評価されるってこと、結構あって。
今まではそういうの見て、「チッ。自己表現だけ上手いヤツめ。」って思って毛嫌いしてたけど、今頃になってやっと、自分を評価して表現するって大事だよねって思い始めた。
"日本人だもの、謙遜してなんぼでしょ"ってどこかで思ってて、会社の面接でも「私はこれできます!こんなにやりました!」って言うのめちゃめちゃ苦手で。でも、言わなきゃ誰も自分がやったことなんてわかってくれないし、
"私のことをずっと見守ってる素敵な王子が、
「田中さんはこんなに頑張ってるんです!自分じゃ言えない人だけど、こんなにやってくれてるんです!」"
なぁーんて夢みたいなこと、起きるわけないんだよな。
人よりどんなに頑張ってようと、なんとなく目の前のこと一生懸命頑張ればいいなんてことなくて、"何を""どうやって"頑張ったか、結果自分が"どう"なったか、"どう"思ったか、"どう"したいのか。
全く考えてないわけじゃないとは思うんだけど、なんせそれを表現してこなかったからすぐに言葉に出てこない。
考えて表現すること。
きっとこれが出来たら、なりたい私に近づける。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?